慈眼寺について

やくよけ発祥の寺

GGG_0150史書『南都年中行事』によりますと、当寺の創建は聖武天皇の御宇の勅願により観音堂に聖観音菩薩を安置したことが始まりとされます。
境内二丁四方、寺領百石余りある南都諸大寺の一つでしたが、松永久秀の乱逆により荒廃し、その後1560(永禄3年)に長順上人によって本堂が再建されました。その折、不動愛染の二尊躰とともに現在の聖観世音菩薩が安置されました。本尊聖観世音菩薩は聖武帝御感得の霊佛を刻めるものと伝えられ、南都西国三十三観音の一つとしても名高く、世に『やくよけ観音』という御名で親しまれ、多くの霊験が語り伝えられています。
その施無畏の御手にすがって、厄難をのがれ、しあわせを願う人々が絶えません。
毎年二月と三月との、はじめての午の日には、この秘仏、聖観世音菩薩の厨子が開扉され、やくよけ大法要を勤修し、厄除け、厄払いを致します。また当寺は「鍵元の寺」と古くから称され、慈眼寺の観音会式(初午)がすまないことには、諸社寺の会式が始まらないとも云い伝えられております。毎年多くの方々にご参詣頂きまして、近隣の奈良、木津・精華、郡山、生駒の方々はもとより、大阪、京都や三重、さらに全国各地の方々のやくよけ祈祷をさせて頂いております。

樹齢400年の柿の木

about-img02当時の境内西側には、奈良市の文化財に指定されている樹齢400年の柿の老木があり、今なお樹勢が衰えることなく、毎年多くの実を実らせております。十一月にはこの柿の収穫を祝い、落ちた実の供養とともに五穀豊穣を祈る柿供養が行われます。また、慈眼寺の柿の木は大英博物館にもその作品が収蔵された版画家、清田雄司画伯によって版画に描かれております。

柿の木 版画    

鍋井克之画伯疎開の処

鍋井克之画伯が戦争中に疎開先として住まわれた時期があり、本堂には画伯の画が残されており、画伯の著書にも当時の様子が描かれております。「奈良への私の愛着は、尚少しつつ高まりゆくので、慈眼寺の離れ座敷を疎開かたがた借り受けることになった。・・・・(中略)・・・私はこの奥まった一室で、天井から爆弾を受けても、佛のおそばであり、安らかに眠れるやうな気がした。」(『寧楽雅帳』)

旧景-慈眼寺観音堂井

当寺門前には往昔『竜井』と呼ばれる霊水湧く井戸があり、名水として名高く、「南京の酒家此の水を汲みて酒をかもす。性味至って佳なり。」と古書に記録されています。現在は道路拡張で井戸はその場所を再々度移されて、現在その面影を伝えています。