慈眼寺 副住職ブログ

なぜ「午の日」に厄除けするの?(1)まずはお稲荷さんでも食べて...

先日、厄年とは何かについて恥ずかしながら私の考えを述べました。

今日は厄除けを午の日にするのはなぜか?ということについて、色々と考えてみました。

 やくよけは午の日にするのがもっともよいとされています。

それはなぜでしょうか?

 午というのは十二支の午です。かつて日本は暦をこの十二支で割り当て、時間や日や年を数えていましたが、今では、年賀状を書くときにだけ意識されるといってもいいでしょう。

十二で一回りですので、ひと月に2回または3回同じ干支がやってくることになります。特定の干支の日に何か宗教的な行事を行うということは厄除け以外にもあり、たとえば安産祈願は戌の日に行うことになっています。これは犬が多産でお産が軽いことにあやかってのことだそうです。しかしネズミも相当多産でお産が軽そうで、子孫繁栄の象徴に使われたりしますし、鶏も多産です。ゲルマン人ではウサギは女神エオストレの化身とされ多産と豊穣の象徴です。なぜ戌になったのか、おそらく犬が身近な存在であったことも大きいのでしょうが、調べればまた新しいこともわかるかもしれません。

で、今日は犬の話ではなく、午です。

牛じゃないです。午です。馬です。

 これがまたやっかいな経緯を経てやくよけの日になっています。やっかいだというのはその由来を確かめることがやっかいだという意味です。ものすごく遠回りです。

 やくよけ、といえば私なんかはああ、観音さまでしょ?となるのですが、実は全然違うイメージを持つ方もいらっしゃると思います。お稲荷さんです。厄除け=お稲荷さんというのは、実は観音さまよりストレートな経緯で生まれた信仰です。とはいえお稲荷さんというのもなかなか一筋縄でいかない神様です。(神様も仏様もみんな一筋縄ではいきません)これを説明するとなかなか観音様の話に至らないのですが、とりあえず今日はお稲荷さんの話をしましょう。

 稲荷神の正式名称は書物によって異なりますが、基本的にはウカノミタマといいます。古事記では宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)、日本書紀では倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)と言います。イザナミとイザナギのお腹がすいた時に生まれた神なので食欲があります。転じて、五穀豊穣を祈る神となりました。豊作に関係するから「稲荷」という名前がついたわけです。そもそもウカノミタマの「ウカ」とか「ウケ」とか「ケ」は「食べ物」という意味です。ハレとケという言葉がありますが、晴れ着を着るハレに対してケは「日常」です。毎日食べるから日常のことなのですね。逆に日常がマイナス方向に壊れてしまう日照りや不作は「ケガレ」なわけです。

 このウカノミタマが伊奈利山(稲荷山)へ降りた日が和銅4年(711年)2月11日であったとされ、この日が初午であったことから、稲荷神と午の日は切っても切れない縁を持つようになりました。つまり、午の日に厄除けをするようになった由緒正しい来歴はこれだと考えて間違いないでしょう。しかし、話はもう少し複雑です。

 このウカノミタマですが、厄介なことに他の神様と簡単に混同されてしまいます。これは日本の宗教ではよくあることなのですが、何らかの理由で似ている神様が同一視されるようになり、その結果二つ以上の神の性質を受け継いだ神様が出来上がってしまったりします。そのあたりの考察は本気でやるとすごく面白くて、例えば京極夏彦の『塗仏の宴』での庚申さまの分析なんかは小説ですからすごく分かりやすいし楽しい。私は専門外なので詳しくは書けませんが、ウカノミタマの場合は、保食神(ウケモチ)、大食津比売神(オオゲツヒメ)、豊受大神(トヨウケノオオカミ)を中心とする他の神様の話と混同されたり、たぶん意識的に同一視されたりして、この過程で「午の日にやくよけ」という考えが補強されてきたように思います。

 日本書紀によれば、月夜見尊(ツクヨミ)が、天照大神(アマテラス)の命で、葦原中国のウケモチを見に行った時、ウケモチが、口の中から食材を吐き出し(海を向くと魚を、山を向くと獣を吐き出して)、ツクヨミをもてなそうとしたそうです。ツクヨミは、それを「汚らわしい」とおもい、ウケモチを斬り殺してしまいます。この時、ウケモチの死体から食物(頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目からら稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が)が誕生したと言われています。これらのものが食物の連鎖を表しているとされ、ウカノミタマと同じく、農耕の神として知られます。

 このエピソードは観音さまにも影響を与えたのではないかという話もあるのですが、その話はまたいつか。気になるは頭から「馬」が出てきたということです。たったこれだけのことですし、しかも牛と一緒に出てきているのですが、これが「午」の日にケガレを封じ、五穀豊穣を祈る祭りを行うようになったいわれとされる場合もあります。しかしかなり探しても「馬」と「やくよけ」を繋げる決定的なものはでてきません。それもそのはずで、最初からこの方向で探すのには無理があるのです。つまり「午」を「馬」と考える捜査方針は完全な方向違いなのです。この話の続きはまた今度。

補足的な話をもう一つ。

稲荷神の面白いところは午の日と関係付けられながら、イメージとしてはキツネが圧倒的だというところ。ウカノミタマの別名は御饌津神(ミケツノカミ)と言います。「饌」は、神に捧げる供物という意味です。「ウケ」=「食べ物」の別のいい方ですね。そしてきつねはもともと「ケツネ」と呼ばれていまして、そこから「ミケツノカミ」に「三狐神」が当てられ、狐がお稲荷さんの使者ということになりました。ところが神道の神さまはなかなかイメージしづらいもので、ついつい使者の方が有名になってしまい、いつしかお稲荷さんの神社の中にキツネが祀られているようなイメージになっていますよね。また、狐のしっぽの色形が実った稲穂になぞらえられたという説もあります。この色で連想するあたり、食べ物のお稲荷さんも似た経緯ですね。あまり使者のイメージが強くなりすぎるのも考えもので、キツネが使者の稲荷大社で午の日に厄払いとか、鹿が使者の春日大社で午の日に厄払いとか、話だけ聞いていると、午なのか狐なのか鹿なのかこんがらがってしまいます。動物が出すぎて日本神話のアニミズム的性格が存分に出ていますね。とはいえこの混乱もすべては「午」と「馬」の混同によるものです。

 あともう一つ、混乱ついでに紹介しておくと、神仏習合によってお稲荷さんは荼枳尼天というもともとはヒンドゥーの神様だった仏さま、(というか正確には「天」なんですが)と合体します。合体するときの触媒になったのはまたしても狐。荼枳尼は狐にまたがっているため、お稲荷さんと引っ付けやすかったわけですね。

 全然観音様の話は出てきませんでしたが、お稲荷さんの雑学だけでも自分的には結構お腹いっぱいです。どん兵衛が食べたくなりました。今日はこのくらいで。