慈眼寺 副住職ブログ

超基本 仏像の見方<前編>

ブツの見分け方

私は、お寺で生まれたからか、仏像というものがそもそも好きです。自分のところの仏さん以外にいいなぁといつも思う「my仏」みたいなものもいますし、偶然訪れたお寺でめちゃくちゃいい仏さんに出会ったりするとおおっ!と思ったりします。で、観音菩薩というのはいろんな仏さんのなかで、かなり人気のある仏像の部類です。たぶんナンバー1じゃないでしょうか。吉永小百合的人気だと思います。実際お坊さん豆知識ですが、観音さまは圧倒的に盗難されやすい仏像だと思われます。観音菩薩、大日如来、不動明王。このへんが盗難されやすいBIG3ではないでしょうか。残念ながら仏像の盗難というのはそれなりにあります。で、さりげなく「菩薩」「如来」「明王」などと言いましたが、今日は仏像の分類についてのお話をします。

 なんの道でもそうですが、「こんなこと、基本やろ」と思って飛ばしてしまうと、「全然意味がわからない・・・。でも基本っぽいから聞けない・・・」と相手を恐縮させてしまい、お互いにとってマイナスなことがよくあります。当然のようにご存知の方も多いかと思いますが、不肖私が説明させていただきます。そういうわけで今日は、「如来-菩薩-明王・天」の三区分についてお話します。

「如来」

三区分の最上位に属します。「如来」とは「タターガタ」というサンスクリット語源を持ち、「到達者」とか「悟りを開いた人」とか「真理の世界からやってきた人」という意味になります。サンスクリットから漢訳して和訳してるのでもうワケがわかりませんね。すごく平たく言うと、「あっちの人」ということになります。もちろん、ポジティブな意味でですよ!

悟りを開ききっているので、俗世のあらゆることにこだわっていないため、服は本当に簡単なものしか着ていません。飾り気が少ないのが「如来」と言ってもいいです。

その場合でも少ないなりに服装に意味がありまして、両肩をしっかり覆っているものと、右肩をあらわにしたものがあります。覆っているのが一人で瞑想しているとき、右肩を出しているのが誰かに教えを請うときを表しています。有名な「観音経」は、無尽意菩薩がお釈迦様に右肩を出して・・・という文句で始まりますが、このことを知らないと全く意味がわかりません。

如来は普通の人とは違う「あっちの人」なので、異形と言っていい特徴をそなえます。まずはあの天然パーマ。アレはすごいです。本当は直毛なのに、念力で一本ずつ丸まっているのです。そして頭頂部がこんもりして二段になっています。おばあさんのオダンゴみたいですが、アレは、髪の毛だけが盛り上がっているのではなく、そういう頭なのです。頭頂部が盛り上がっている頭です。そして指のあいだには水かき!これは全ての人をすくい取るためのものです。ああ、忘れてはならない眉間のまるいもの(白毫)。あれも毛です。白い毛が渦を巻いて丸まっています。とにかく普通ではない能力を表すために普通ではない特徴をそなえています。如来は釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来、大日如来などが有名です。あとマニアックなものとして阿閃(あしゅく)如来もいます。あ、忘れてはいけない。東大寺の大仏様は盧舎那仏という如来です。一般的に「仏さん」などとあらゆる仏像を呼びますが、厳密には「仏(ぶつ)」と呼べるのは如来だけです。つまりこのあとに説明する菩薩や明王は「仏」ではない、という驚愕の事実が判明しました。

そして、それぞれの如来をどう見分けるか、には簡単な見分け方がもちろんありますが、細かくなるので今回はごく簡単に。基本は印相と言いまして、手を上に向けたり下に向けたり、手のひらを見せたり指を曲げたりなど、いわゆる「印」を組んでいる形で見分けられます。薬師如来だけがものすごくわかりやすく、ほかの如来が何も持っていないのに対し、薬壷を持っています。

ただ、目の前の仏像が何か?というのは、実は通常思われているほどハッキリしていない、ということには一つ注意が必要です。「阿弥陀如来と呼ばれているが、もとは薬師如来だったと思われる」とか「地蔵菩薩と呼ばれていたが、阿弥陀如来だったことが判明した」などということは決して珍しくありません。手の部分が壊れて何かわからなくなり、もとの仏像と違う印を結んだ手を作られて違う仏様になったり、そのときどきの流行で作り替えられたり、解釈がどこかで変わったり、言い伝えでガラッと変わってしまったりなどもよくある話です。特に如来はシンプルですからこうしたことが起こりやすいです。それが何か?よりそれによって救われるか、が重要ですから、どう呼んでも仏様は怒らないと思われます。そもそも「あっちの人」ですから、怒ったりしません。バチも当てません。そんなちっちゃい人ではありません。

一気に説明するつもりでしたが、分量が多くなりすぎたので、今日はこのくらいで。