観音菩薩とは何か。(3)「観音の履歴書②」
それでは昨日の続きいきます。写真は、大阪藤井寺葛井寺の「千手千眼観音」。本当に千本(以上)作ってしまった珍しい作品にして千手観音の最古の作例。観音菩薩は千の手と千の眼を持っているとされることから。どうやら手の一つ一つに眼を書いていた模様。
③何の仏さんか
基本的には、阿弥陀如来が来世での救済担当、観音菩薩が現世利益担当で、役割分担は法華経の頃から明確です。阿弥陀如来に対する補助の役割として、観音菩薩と勢至菩薩は脇を固める助さん格さん的役割が基本です。が、話はそう簡単ではありません。実際、三国時代に「観音」概念が伝わり、北魏の石窟寺院などでは石仏が多く作られましたが、まだ阿弥陀如来の仏像がないにもかかわらず、観音の作例が多いのです。観音は、阿弥陀より古い仏です。
法華経のなかの観音経の部分ではその凄まじい現世利益のオールマイティぶりが書かれています。燃え盛る炎も池にしてしまう。海の真ん中で巨大な竜とかでかい魚に出会っても船は沈まない。崖から落とされても浮いてしまう。恨まれて殺されそうになっても、許されてしまう。死刑に処されると、剣が折れる。毒薬を盛られれば、盛った相手に毒がいく。男の子がほしければイケメンでみんなに愛される男子が、女子がほしければ美女でみんなに愛される子が生まれる。・・・などなど。凄すぎます。
観音といえば現世利益担当と思われがちですが、観音は般若心経で「空」の思想を説く存在でもあります。現世か、来世か、という要素は相反するように思われますが、信仰の形成過程でも、例えば平安時代に菅原道真は観音菩薩に来世での救済を願っていますし、そのときどきの人々の信仰のありかたを反映して様々な形態をとっています。そもそも、在覚が「持名鈔」で「稲を得るものは必ず藁を得るがごとく、後生を願えば現世の望みもかなうなり。」と言ったように、来世での解脱を願えば、自然と現世での執着を離れ、結果的には現世でも平安を得ますので、観音菩薩の役割は矛盾するものではない、と考えることもできます。
④変身形態
観音ほど変身する仏はいないといっていいほど変身します。教化したい相手によって基本的には三十三の姿をとるとされています。おじいさんの姿をとったり、子供の姿をとったり、怖い神様の格好で現れたりします。いろんな顔をもっているわけです。
さらに中国の天台宗の智顗という人が「六観音」という概念を完成させます。観音の変化態を六道輪廻の六道に対応させます。しかしこれは真言宗と天台宗で6変化の分類が若干異なります。
地獄担当―ノーマルな聖観音
餓鬼道担当―千手観音
畜生道担当―動物だけに馬頭観音
阿修羅道担当―十一面観音
人道担当―真言宗:准提(じゅんてい)観音
(天台宗:不空羂索観音)
天道担当:如意輪観音
この6つです。三十三変化は三十三箇所参りに発展し、六道の六観音は、やがて地獄担当は俺だ!という猛アピールで地蔵菩薩のテリトリーになっていきます。ちなみに三十三間堂の「三十三」もここに由来します。
ちなみに千手観音の「千手」というのは、実際には千本作られることはありません。色々な例がありますが、基本的なものは42本。1本につき、25の世界を救うという意味で、仏教において三界二十五有に分類される世界を一本で救える、というすごい意味が込められています。またこの話は別の時に突っ込みたいですねぇ。
ここでも観音は六道の苦しみからの解脱をたすける存在として描かれており、現世利益か、来世救済か、という問いが再びでてきます。出自も様々な要素を持ち、色々な変化をするとキャラ付けされた観音菩薩はこのあたり時代の変化にも柔軟に対応して観音信仰が形成されたとも言えるでしょう。
今日は頭を2秒も使わない薄っぺらいプロフィールだけ並べてみました。ただ、観音はこれだけでは済まないのです。その続きはまたいつか。