慈眼寺 副住職ブログ

僕らが旅に出る理由

毎日ブログを書いて、自分のお寺や、そこに祀られているものや、そこに込められたものについて考え、その寺がある場所について考え、そのまわりの土地について思いを馳せていると、色々なことを考えます。ずっと自分が住んでいたところであり、おそらくは一生ここに住むであろう場所なのに、自分はその場所について何も知らないのだ、ということに毎回気づかされます。YDMなんて特にそうです。こんなにいい街なのに、なにも知らない。

思えば私は奈良が嫌いでした。

中学のころはとにかく「ここ」が息苦しくて、かわり映えもせず、古臭いばかりで向上心もなく、それでいて世間体ばかり気にするつまらない場所に思えて、「早くここから出たい」といつも思っていました。

大阪の高校に逃げるように入学し、大阪の大学に通い、研究室に入ってほとんど一日中を大阪で過ごし、奈良はただ寝るだけの場所になっていました。そんな自分の「ここ」への気持ちが変わったのは、たぶんほんの数ヶ月の留学のときだったのかもしれません。

家族や自分のまわりのあらゆるしがらみを振り切って、自分のお金でドイツに行き、誰一人私を知らない街で、ただの「異物」として生活するのがとても居心地がよくて、ずっとここで住みたいと思いました。一度母に電話すると、「大丈夫なの?」と聞かれ、「なんも困ってないよ。ずっとここで住んでもいいよ。」と答えると、母は悲しそうに、「アンタは本当にどこでも大丈夫やなぁ」と言ったのを覚えています。

お金がなくなって奈良に戻って一番びっくりしたのは、駅について重いトランクをひきずって階段を登って、見上げた先にある若草山のあのけだるいまんまるとした能天気な(当寺そう思っていました)姿を見て、なぜか突然胸が熱くなったことです。そんなこと一度もなかったし、懐かしくもなんともないし、そもそも「ここ」に帰りたいなんて、一度も思ったこともないのに。だいたいたいしてここを離れてたわけでもないのに。向こうでも全然快適だったのに。

あんなに軽蔑して、いつも離れたがっていた「ここ」のことを、実は自分は何も知らない、そう気づいたのもそのときでした。ドイツ人に奈良はどんな町だ?と聞かれても教科書に載っているようなことしか言えない。自分で体験した面白い話もない。ドレスデンのほうがよっぽど詳しい。思い出すのは中学の頃の嫌な思い出ばかり。自分は、何をそんなに嫌がっていたのだろう。

今にして思えば、あのとき私が奈良について嫌だと思っていたこと、つまり「息苦しくて、かわり映えもせず、古臭いばかりで向上心もなく、それでいて世間体ばかり気にするつまらない」というのは、自分自身のことだったのだと思います。そんな奴だったのです。嫌なことならしなければいい、その代わり、誰かや何かの悪口を言わず、好きなことをやって、好きなところに行って、好きなものを「好きだ」とだけ言っていればよかったのに。簡単なことなのに。何かを大事にするために、何かを貶めないと気がすまない。自分はそんな人間だった気がします。そのことと向き合うのが嫌で、いつも逃げたい、逃げたいと思っていたのだと思います。たぶん、あの若草山をみたとき、私ははじめて奈良とまっすぐに向き合えたんだと思います。

ですから、このブログで自分の住んでいた場所について、そこの歴史について、そこの「いま」について書くことは、自分がずっとやってこなかった宿題に、四十を前にしてようやく取り掛かることだと思っています。いつも中学生を教えると感じるんです。中2のとき「子供だなぁ」と思っていた子たちなのに、中3になると急に大人に感じるなと。たぶん、それって私の精神年齢が中2のままのせいなんです。さすがに四十になってそれはカッコ悪すぎるので、宣言します。

私、中3になります。

中3になって過去の自分を卒業するための宿題、それがこの「副住職ブログ」なのです。