生きること。死ぬこと。今日は数字のはなし。
奈良のお店紹介するのと自転車のこと以外は死ぬ死ぬばっかり書いて無常観と格闘している私ですが、今日も生と死にかかわることを書きます。以前は%や数字は関係ない!というお話をしましたが、今日はとことん数字にこだわります。
死ぬことをなかなかリアルに考えることは通常あまりありませんが、たとえばこんな切り口ならどうでしょうか?
お母さんが子供の登校を見送る時、一度は言ったことがあるであろう、このセリフ。
「車に気をつけなさいよ!」
そもそも、この日本で交通事故で死ぬ人はどのくらいいるのでしょう?
頭に数字を浮かべましたか?
答え、知りたいですか?うーん、どうしようかなぁ~
ハイ。答えます。実は、だいたい4400人くらいです。
思ったより多いですか?それとも少ないですか?実はこのことを気にし始めたのは10年くらい前ですが、そのときは交通事故者数は5000人台でした。だいぶ減りました。日本の人口が減ったことと、安全装置の進歩、シートベルトの着用率アップ、あとは飲酒運転の厳罰化が大きいのでしょう。1億2000万人いて4400人ですから0.003%ですね。意外に少ない気もします。言い換えると1000人に3人ですか。そう考えると多い気もします。不思議です。
では、別の質問をします。
日本で自殺する人は年間何人いるでしょうか?
去年は年間2万7000人です。
これもずっと3万人台でしたが、ここ数年3万人を割っています。
しかし交通事故の6倍の人が自ら命を絶っていると考えると、一言では言えない複雑な感情が起こります。しかも、日本では遺書がない場合自殺の統計に入れませんので、少なくともこの数字より多いということになります。ネットでは原因不明の死体発見をすべて自殺として統計して煽っているページがありますが、アレはアレで、問題です。とはいえ少なく見積もっても、交通事故の6倍です。大変な数値です。この国の深刻な病を見る気がします。
さて、次の質問にいきます。少子化の日本です。色々な理由で作りたくても子供を作れない人はたくさんいます。そんな中、妊娠したのにもかかわらず、中絶を選択するケースは、年間何件あるのか?
答えは、年間20万件~30万件です。
はじめてこの数字を見たとき、私はものすごい衝撃を受けました。
正確な数字は事の性質上出ていないのですが、少なくとも20万件です。桁がさらに変わります。「20万件」と言っていますが、それは20万人の命なのです。20万の、生きようと思えば生きられる子供が生まれることなく、いわば死んでいるわけです。もちろん様々な理由で産みたくても産めないケースもあるのでしょう。ですが、自殺する人の10倍、交通事故死者の60倍の数の新たな命が、この少子化の時代において、ないものにされている。ちなみに20万人という数字は、伊丹市・岸和田市の人口と同じです。30万人だとすれば八尾市の人口が27万人、奈良市は37万人です。毎年、中核市程度の街が消えていることになります。
生きるか死ぬか、数字の問題ではない、確率の問題ではない。1/1の問題である、と以前言いました。ですが、その1/1の命が、4400であり、2万7000であり、20万分毎年何らかの形で失われている。もちろんそれ以外の形でも失われている。その事実に呆然としつつ、やはり死というものが、紙一重のところで我々の傍らにいることを感じざるを得ません。特に、あとの二つに関しては、この現代の日本という場所の、歪な構造に思いを馳せずにはいられません。
このようなどこかおかしい時代に、それでも私たちは生きている限り、生きねばならない。そしていつかは死なねばならない。いつもの話も、少し違った響きをもちます。