慈眼寺 副住職ブログ

百貨店ノスタルジー

先日ちょっと用事があり、梅田を出歩いたのですが、梅田は本当に大きく変わりましたねぇ。
元気のない関西、というより、東京以外全部元気はないのですが、そんな関西でも梅田だけは景気のいいエリアです。

阪急増床、大丸増床、グランフロントができて、ルクアができて、伊勢丹ができて、阪神も改装・・・

ここ数年で梅田の百貨店の売り場面積は1.5倍になったとか。

しかし、真新しい建物に「関西初出店!」が並ぶ百貨店に、かつての「今日は阪急いくで!」と親が誇らしげに私の手を引いた夢いっぱいの「背伸びした」感はありません。日本が豊かではなかったから百貨店が輝いていたのか。もう百貨店という業態自体が終わっただけなのか。それなのに、昔の栄光を夢見て百貨店は増床に次ぐ増床を繰り返しているのか。その問いへの答えがどうしても気になって、百貨店関係の記事が出ると必ず読んでいます。

確かに古くなってところどころ傷んだビルは改装しなければならないのかもしれませんが、新しいことだけが売りの建物というのは寂しいものです。時代を経たことが逆に価値になるような、そんな建物を、街のランドマークを建てよう、という心意気を全く感じません。正直このネット社会で、オンラインショップと「百貨」を競ったところで勝てるはずもありません。「そこ」へ行くこと自体に「意味」があるような、そんな場所でなければ人は呼べないですし、かつての「百貨店」はそんな場所でした。庶民の貧乏根性と笑われようとも、「○○」の包装紙を買いに行くようなものや!と自嘲するような、そんな価値が、百貨店にはあった気がします。もちろん日本が豊かになり、「百貨店に行くこと=贅沢」というような時代とは比ぶべくもないのですが。それでも、百貨店が「高級」な場所であらんとする方向性が、なんだかとても見当はずれと言いますか、「ツルツル、ピカピカ、でもペラペラ」な情けないものに見えて仕方がありません。

百貨店がリニューアルするたびに、「こうじゃないんだよなぁ」と思います。

食べたこともないでっかいエビフライを食べて、屋上遊園地で遊んで-。

 

もちろん時計を逆向きには動かせないのですが、今の日本だからこそ求められる「豊かさ」を。そこで得られる場所が、今はどこにもない気がします。