精神的に向上心の無いものは馬鹿だ。
「精神的に向上心の無いものは馬鹿だ。」
とは、夏目漱石の『こころ』の言葉。
この言葉を発した「K」はそのストイシズムのために自ら命を断つことになるわけですが、まぁいまどき恋愛で向上心もクソもないものです。
ただし、「向上心」という言葉、いつも重く自分にのしかかります。戒めになるよう、思い出します。
自分より「劣っている」と思える人間だけを相手に、楽ばかりしてはいないか。楽ができるときにも、どこかで自分に負荷をかけて、新たな何かを身につけるよう努力しているか。何年も同じところに留まってはいないか。そもそも、自分が「劣っている」と思っている相手と自分とのあいだに、どれほど有意な差があるというのか。実は自分が見下すその相手と、同じレヴェルにいるのではないか。
勝った負けたに拘泥して、いつも必死で余裕のない人間にはなりたくない。
だからといって全て相対化した気になって、向上することを諦めたカルチャースクールのような努力ならしないほうがマシ。
勝ち負けを超えたところに「楽しさ」を見出すのはもちろんとても大事なのだけれど、真剣にやらない楽しさなんてただの弛緩でしかない。弛緩なら布団の上ですればよい。リングに上がれば、勝負の世界。相手がいなくても勝負のやり方はたくさんある。むしろ、目の前の人間への勝った負けたを超えたところに「勝負」を挑むことのほうが、よほど難しい。
「精神的な向上心」という言葉はちょっと日本語としてはくどいのですが、くどいながらも、
「向上心のないものは馬鹿だ」と言うよりも、
「精神的に向上心のないものは馬鹿だ。」
のほうが、ずっしりとくるものがあります。やはりあります。
自分自身が、常に変わっていけるように、毎年違う景色を見られるように、年を取ればとるほどそう在れるように。その志を忘れないように、小さくこの言葉をつぶやきます。
「精神的に向上心のないものは馬鹿だ。」
そうつぶやきながら、図太く長生きしたいな、なんて、ちゃっかりしている不届きものの私です。