慈眼寺 副住職ブログ

今日もお説教

「今日もお説教」と書くと、何か怒っていたように誤解されそうですが、いつもの説教の研修会でした。

今日はロードバイク仲間のお坊さんの車で、会場の桂の弥勒寺さんまで連れて行ってもらいました。
桂の方は昔バドミントンの練習で何度か行ったことがあるのと、自転車で嵐山に行く途中よく通る場所です。去年は同僚の先生のお計らいで桂離宮に見学に行かせてもらったこともあります。至るところにお寺がたくさんあり、「京都だなぁ」と実感しました。奈良よりお寺が多いなと感じるのは京都くらいです。

今日のお説教は前回のお話をもう一度ブラッシュアップさせたつもりでお話させていただきましたが、前回の反省を活かした分、逆にダメになったところもあり、やはりお説教は難しいなと感じました。研修会での発表は4度目ですが、今日が一番自分では納得できない感じがしました。授業でもそうなのですが、私は、我が強いと言いますか、思い込みが激しいと言いますか、単純に変人だと言いますか(笑)、ちょっと独特なところがあるみたいで、帰りにお友達に指摘されてはじめてそのことに気づきました。授業だけだと思ったらお説教もそうなのかー。

自分で考えて自分で悩んで、自分で納得したことだけを書きたい、話したい、というのが自分の中にあり、よく言えば個性的、悪く言えば自己満足なところが自分にはあって、そこを忘れたらアカンなと思った次第。

我執を捨てろと言い続けるべきお坊さんにあるまじき「ミスター我執」の私です。自分の我執のスケールやややこしさにはちょっと自信があります。でもまぁ、そんな自分でも極楽往生させてくれるというのですから、仏さまというのはありがたいものです。いや、ホントに。

自分、自分、自分。
自己顕示欲と自己否定という我執のドロドロの沼の中で、毎日もがきつづける私の、まことに修行の足りない見苦しい毎日をこうして記録に残しています。やくよけのシーズンがひと段落しても毎日沢山の方々に訪れて頂いております。ぶかっこうなものに目を通していただきまして、まことに申し訳ないと思う反面、まことにありがたいなと思っております。ありがとうございます。