選択肢を広げるのはいいことなのか
いつも悩んでるんですよね。
勉強を真面目に頑張ってもらうためには、勉強したあとの「ご褒美」が何なのかを明確にしたほうがいいに決まっているんです。
でも、なんで勉強なんかしなくちゃならないんですかねぇ?
私の奥さんは、
「大学って、何で行くの?」
っていつでも疑問に思っています。
確かにそうなんですよ。勉強して大学いって、もしくは、勉強しないで大学に行って、ナニするの?
彼女の目には、大学生の姿が親の金で遊び呆けているようにしか見えない。
実際、大学生の7割くらいはそんな感じだと思うんです。
で、3割の人は真面目に勉強しているんですが、本当にその勉強が好きでやってるようには思えない。
「なんとなーく、やらなきゃダメな気がして」、やってる。
「将来役に立ちそうだから」、やってる。
こういう「選択肢を広げる」という思考法は、一見合理的だと思うんです。
偏差値が低い大学より、有名な難関大学に入った方が、どんな職業にもなれる。
どこかの有名大学の付属中学に入れば、エスカレーターで苦労せず学歴が手に入る。もし、よそを受けたければ受ければいい。選択肢が広い。
もちろん理屈としては通ってるんですが、そこに、一番大事な「何をやりたいか」が抜け落ちている気がします。
医者になりたいかどうかわからないまま、医者になれる大学に入るための努力をすることの無意味さ。
最初から与えられた難関大学へのエスカレーターには何のありがたみもない。むしろそれが学ぶ気力を奪う。
親はなるべく子供に苦労をさせたくないから、ついつい事前に障害物を避けてやりたくなる。
私も中途半端に教育産業に関わっていますから、つい「あそこに入れたいな」などと思ってしまう。
本当に悩むところなんです。
怪我をさせたくないが、怪我を恐れては、何もできない子供になってしまう。でも、取り返しのつかない危険もある。
そのあたりの見極めはやはり親の義務だったりするわけで。
結局は本人次第で、どんな環境にいてもやる奴はやるわけで。「意識の高い子供と一緒にいれば意識が高くなる!」とかおっしゃる親御さんいらっしゃいますけど、その理屈だと、ずっと一緒に暮らしてきたその親御さん自身が一番影響を与えているはずなので、ご自分が「意識の高い」方なら、ただのクラスメートに左右される程度の「意識の低い」子供は育っていないはずなんですよね。
でもついつい、石ころをどけたり、こっちにしなさいとか、言っちゃう気持ちもわかるんだよなぁ。変な自転車乗ったりしたら嫌だもんなぁ。変なフォームで打ってほしくないもんなぁ。
ですが、「選択肢」というものは、やがて選ばれるもので、選ばねばならないもので、選ぶのは本人だということ。さらには選ぶということは捨てるということだ、ということをいつも忘れないようにしています。
生徒さんに言ったことがあります。
「君たちには無限の可能性が・・・・・・・・ありません!!!!
毎日毎日僕たちは可能性を失っています。でも、夢を持つなという気はない。夢は無限です!ただし何もやってないから無限なだけです!
何かを選ぶということは何かを捨てるということ。野球選手になれば、医者にはかなりなりにくい。逆もそう。 何にでもなれる状況は、実は何一つ選ばず、一歩も踏み出していない状況に過ぎない。
一歩踏み出せば、目的地に近づくかもしれないし、間違った道かもしれない。だがとりあえず、何かを選ばなければ何者にもなれない。
「あ、間違ってた。俺、弁護士に向いてない。」って気づくことも、目的地への大事な通過点です。
君たちは「あとで何度もできるように」って、問題集にオレンジの線を引くのが好きだけど、あとに本当に見直すの?
書き込んだ方がまだ字を書くだけマシじゃない?誰のための綺麗なライン?線を引くのがあなたの勉強?
綺麗な綺麗な、大事なところに線を引いたテキストを、あとで誰かに売るつもりなの?そういうお仕事?
そこは黒く書き込みましょうよ。自分だけの考えを黒々と。間違っててもいいから。汚くしようよ。あなたのテキストなんだから。
「あとで」って言うけど、「あと」の自分って誰?そんな奴どこにいるの?「今、ココにいる、俺」が勉強しないで、誰がするの?
30分後も1年後も3年後も、「今、ココにいる、俺」がいるだけですよ。その度に選ぶだけ。捨てるだけ。捨てたものをまた拾ってもいい。
でも、「いつでも選べるように、ただただいつかのために取っておく」ことの先に、何があると思いますか?
それを世間では、「ゴミ屋敷」って言うんだよ。使わないモノはゴミだからね。
使えばいんだよ。どんな古いものでも、ボロボロでも、使っていればゴミじゃないよ。宝物です。
使って下さい。選んでください。捨ててください。拾ってください。
君たちには無限の可能性はない。だが、無限にトライすることはいつでもできます。」
思い返すと、柄にもないことを言っていましたが、何がどれほど伝わったかは自信がありません。
たぶん、こういう話のほとんどは、自分自身に語りかけているんだと思います。
娘にも、きっと娘に言うフリをして、自分にお説教をするつもりです。