森にのまれる
さて今日は8月2日。
一年で一番私が「男」がワイルドな日。
ここ最近この日は山の来迎寺で檀家様のお墓回向をする日と決まっています。
住職が墓回向をしているあいだ、私が来迎寺の代々の住職のお墓の掃除をしています。
これがもう、大変!
「風の谷のナウシカ」で「ここもじきに腐海に飲まれる・・・」みたいなセリフがありますが、森の中にあるお寺ですので、気を抜くとあっという間に森の一部に取り込まれ、カンボジアのバイヨンみたいになってしまいます。
そんなわけで、ナタとたけぼうきと植木バサミをもって、あの長靴(http://www.nara-jigenji.com/wp/wp-admin/post.php?post=3171&action=edit)を掃いて、虫除けに長袖を着て絡みつくツタや、ニョキニョキ生えまくる笹と格闘します。特に、ノコギリをベルトに挿す瞬間、かわぐちひろし探検隊みたいで「やるで!」という気分になっています。おそらく、現地の人は「へっぴり腰であぶなっかしいなぁ」と思っているとは思うのですが(笑)
しかし中にはかなりトゲトゲしたイバラ系の植物があり、これに当たると、軍手くらいでは全く歯が立ちません。笹も引き抜こうとするとそうとう根が深い。植木鋏は重く、長時間使うと左手がプルプルしはじめます。ここは風流で、花の花瓶なんて使いません。足りなくなったら竹やぶに入り、竹を切って作ります。この瞬間が一番「山の男」っぽくて好きです。一度竹やぶでウズラと思われる正体不明の鳥に遭遇したときは乙女のような叫びをあげた私ですが、頭の中だけでも「ワイルドな俺」を演出して楽しんでいます。
お寺とお墓以外の周りが全部森というこの敷地。有効活用したいような、ずっと森でいてほしいような。とはいえこういう場所で生活圏を維持するのは大変です。人間が、自然の中に住ませてもらっているんだな、ということを、キャンプなどせずともこの程度の生活でも感じてしまいます。
石塔のほうも長時間放置すると大変です。
ただ、こういうところのいいところは、お供えする下草などとは普通にそのへんに生えまくっているということ。草刈りがそのままイコールお供えの準備になります。以前下草についても書きましたね。(http://www.nara-jigenji.com/diary/1996/)
本来はこうやって、お墓のまわりに生えているものを適当に取ってきて、自分で切った花入れに挿して、供えていたんだろうなぁと思います。日本中の過疎地で造花が飾られて始めている昨今、こういう日本の原風景のようなものが残っている都祁村は、やっぱりいいです。