慈眼寺 副住職ブログ

40歳のスポーツ

中学1年でバドミントンをはじめて、休んだ期間を抜けばかれこれ20年以上バドミントンをしています。
もちろん、働いていますし、子供もいますので、毎日毎日打てるわけではありません。
自分の練習に関して言えばだいたい週一回打ってるかなという程度。理想で言えば週3はやりたいなと思うのですが、いい大人ですし、なかなかそんなに楽しい毎日は過ごせません。2週間打てないとか、一ヶ月打てないこともあります。

そのかわり、期間が空いたから感覚が狂って全然ダメということもなく、いつでもだいたい自分の実力はこんなもんだなというところで良くも悪くも安定しています。あとはそのときどきの集中力の違いだけです。

よく、生徒なんかは「三日空けるともうダメ。全然当たらない。」などと、自分の現役時代も含めて「そんなことある?」って思うような感想をよく聞きます。本当のトップレヴェルでやっているのでなければ、そんなにストイックで繊細な感覚必要かなぁ?フォーム固まってないだけちゃうの?って思います。

よく、ミスすると「アカン、今日は調子悪い!」とか、やたらと首をかしげて「なんかおかしい。なんでやろ?」などとつぶやく人がいますが、そういう感覚もあまりわかりません。もちろん体調や故障でプレーに影響はありますけど、何ヶ月も空けたのでなければだいたいはミスした理由はハッキリしています。自分のできることとできないことの線はよく熟知しているつもりです。逆に毎回「おかしいおかしい」と首をかしげている人は、自分がミスしない前提でプレーしているのかな?と思います。

勉強もそうなんです。試験に落ちる子の典型的な傾向は、模試の各教科の今まで一番良かった点数が試験当日に勢ぞろいすると考えていることです。そんな、数学も英語も理科も社会も国語も自己ベストが出るはずがないのです。失敗することも込みで自分の実力です。ひどい人になると、試験当日に今まで出たこともないすごい点が出るというカミカゼが吹くようなことを考えています。頭はいつでも大本営発表なんですね。

話をスポーツに戻します。十分な体勢であっても一定数ミスは出ます。苦しい態勢ならその確率は上がります。自分の置かれた状況に応じて、ミスが出てきたら、それはだいたい自分の実力に応じた頻度で出てきます。上手い人はどんな体勢でもミスの確率が低いです。野球の打率と同じです。誰でもミスをしますが、トータルすればいつもイチローは打率が高い。だから大抵のミスは「あ、やっぱりな」という自分のダメさを再確認する形で出てきます。さらに、相手との力関係によってミスさせられる頻度も決まってきますし、そもそもノーミスで最高のプレーをしても強い人には通じません。長いことやってると、このレヴェルにはこうなるだろうな、という予想ができていて、そして結果は「やっぱりな」で終わります。

そんな夢のないことやって楽しいのか?とお思いかもしれませんが、40歳です。プロ選手だと大抵は引退しています。ここから劇的に強くなれるはずもないし、そんな練習環境もありません。体も太ってきてますし、できなくなることも確実にあります。でもスピードや筋力は上がらなくても、戦略なんかは年をとってからの方がよくわかる部分もあります。動けない分、横着するわけですね。今、何ができて何ができなくなっているのか。毎日自分の状態を確認して、なるべくそれを維持して、たまーに新しいことができるようになったら儲けものくらいの感覚です。本当に夢のないたとえですけど、預金通帳の残高を確認するような行為ですね。それがとても楽しいです。仕事で肩がバリバリに凝ってても、無理して練習に行けば肩こりは嘘のように取れます。

まぁ、何年やろうとしょせんはアマチュアスポーツですから、こういうことができるのがアマチュアの強みだと思います。プロは勝てなくなったら終わりですが、アマチュアはちゃんと本業があって、そのお金でラケットなり自転車なりを買って、業界を儲けさせているわけですから、飽きるまでできます。社会人は、スポーツはアマチュアでも仕事ではみんなプロなんです。しかもアマチュアが弱いくせに諦めずに道具を買ったり観戦してくれるから、プロは生活できるわけです。だからアマチュアはプロより絶対偉いんだと思います。

まさか自分が40になってもこんなに運動してるとは思いませんでしたし、親きょうだいも同級生も思っていませんでした。この先はどうなるかわかりませんが、バドミントンも自転車も、アマチュアとしての楽しさをできるだけ追求して、自分のスポーツ貯金を数えてニヤリとしていたいものです。

なんだこの暗いスポーツマン。