看取る
今日、ようやく最後のお施餓鬼のお手伝いが終わりまして、お盆が終わりました。
何度か書いたことですが、TVはほとんど見ません。不愉快になることが多いからです。
特に最近は娘のために幼児向け番組の録画を延々と流していますので、余計にTVを見る機会が減りました。幼児番組はNHKなので、自然とNHKをつけていることが多いので、偶然見る番組もNHKということになります。
そんなわけで偶然見るようになってしまったNHKの番組が障害者にスポットを当てたバリバラという番組と、20代の若者の生活を追うU29という番組です。特に録画などするわけではないのですが、お風呂上がりなどに見ることが多いですね。
今日も偶然、ホスピスで働く20代の女性の姿に密着した放送を見ることになりました。
「ホスピス」とは終末医療のこと。もはや治る見込みのない患者さんの肉体的・精神的な苦痛緩和を最優先する病院のことです。
私は当然人の死に接することが普通の人よりずっと多いです。そして妻は元看護婦。二人とも子供をあやしつつも、ついつい見入ってしまいました。
自分のしたい看護と、現実の業務のギャップに悩んだり、目の前の患者さんに対する自分の無力さに直面したり、切り替えるために休日は趣味に没頭したり。どれも非常に切実な言葉ばかりでした。これはあらゆる職業の人にも普遍性を持つ話だなと思いつつ、しかし、目の前にいる患者さんが、何の前触れもなく、休み明けにはいなくなっているという「死の日常性」に、脂汗を流すような気持ちがしました。ですが、これこそが本来の死のあり方なのです。
また、看護婦さんが苦痛に悩むおばあさんの腕をマッサージするシーンは、自分の母のことを思い出していたたまれない気分になりました。抗がん剤の副作用ですっかりむくんでしまった母の腕をマッサージすると、まるで低反発枕のように、私の指のあとが残りました。さすってあげたいけれど、自分の指のあとも見たくないという相反する気持ちを思い出しました。無理して抗がん剤治療なんてしなくてよかったのではないか。今でもそう思います。
病気と、戦わなければならないのだろうか。負けたっていいじゃないか。そもそも、いったい何に負けたというのか。誰が、何と、戦っているというのか。
ここ最近、若い頃から私なんかを可愛がっていただいた方が亡くなられました。
朗らかで、でも決して流されることもなく、おしゃれで、優しい方でした。
生きてらっしゃるときにもっともっと、ああすればよかった、こうすることができたのに。
そんなことを思っていたときだったので、今日の看護婦さんの姿を見るのは、つらかったです。
私にはいったい何ができるのか。私は死ぬときにどんな自分でいられるのか。
そんなことを考えて寝つけない私です。