慈眼寺 副住職ブログ

若狭 古寺めぐり

さて、伊根での軽いサイクリングの翌日、朝は早朝5時に起きて、家族が起きるまでに少しだけサイクリングをし、起きてきた娘に海水浴させましたが、やはり海は怖いらしく、水辺で砂山を作っただけでした(笑)こんなんでええのんかと思いましたが、本人的には「うみ、たのしかった」と言ってるので、まぁいいでしょう。

軽い海水浴のあと、一気に福井の小浜まで移動しました。これまた舞鶴若狭道のおかげで快適。しかも周遊パスのおかげで何度下りても値段は一緒。このパスのおかげでみなさんが北近畿・北陸の魅力に気づけばいいですねぇ。

小浜は京都との繋がりが強く、文化財も豊富で、「海のある奈良」との異名があるそうです。参りましたね。それって奈良より上じゃん!って思ってしまいます(笑)しかし確かにこの地方の文化財の豊富さは特筆すべきものがあります。「小浜国宝めぐり」という8つの寺院をまわる旅行プランがあるほどです。ちなみに、「国宝めぐり」と言っても、現在の法制下でのいわゆる「国宝」は実際には一箇所にしかなく、あとの7つはここでも触れたことのある旧国宝、国の重文が中心の寺院です。それにしてもこの限定されたエリアにこれほどの文化財が集中しているのはすごいことです。

全部めぐりたいところですが、時間があまりなく、子連れで集中力も続きません。まわれるのは2つだな、と最初からあたりをつけて、優先的に行きたい場所に向かいました。まずは羽賀寺です。

 羽賀寺2

お寺には山号というものがありまして、そのお寺の性格をぴたっと言い表すような「○○山」というニックネームみたいなものがありますが、ここは本浄山というそうです。なぜわざわざ山号の話を急にしたかというと、山号が2つあるからです。パンフレットには「鳳聚山」とあります。本堂には「本浄山」の額が飾ってあったので不思議に思っていると、どうやらある天皇の名前として使用されたようで、そこを憚ったために山号を変更したそうです。どの天皇なのか気になって調べましたが、よくわかりませんでした。諱が「鳳聚」というのは考えにくいですけれど。もっとちゃんと聞けばよかったですね。

さてこの羽賀寺。元正天皇の勅願によって開基は行基だそうです。ここに鳳凰の羽が舞い降り、天下泰平の吉兆としてここに寺を建立することを元正天皇が命じた鳳凰伝説のあるお寺です。

羽賀寺お守り 羽賀寺1

そんなわけでお守りにも鳳凰が。私、こういうグッズには弱いです。買ってしまいます。
元正天皇といえば、元明天皇の娘。元明天皇といえば平城京遷都のあの女帝。女帝⇒女帝という珍しい形で即位した天皇であり、元正天皇の次が、あの聖武天皇になります。まぁ、いろいろあったけど、基本的には天下泰平と言えなくもないかなと思いますので、鳳凰の羽根にご利益はあった模様です。

この元正天皇、大変賢くて理知的な美人であったそうですが、このお寺のご本尊十一面観音は、この元正天皇のお姿を元にして作られたとか。個人的には小浜で最も見たかった仏像です。

羽賀寺 観音

いただいたパンフレット的な絵葉書?より。何よりすごいのがこの色彩。当時の色がほとんど完全に残っている。秘仏だったことと、下地が厚かったことなどが原因だそうですが、それにしてもすごい。鳳凰の力を感じます。非常に華やかな仏様ですね。さらにこの写真では分かりにくいですが、異常に長い手。これは仏様の「常ならぬ存在」であることの表現の一つで、螺髪や肉髻などと同じ種類のものですが、それにしても長い。手の長さは「救いを求める衆生に手が届くように」という意味合いがあるそうです。しかし返す返すも長い。未来少年コナンの作業ロボのようです。

思わず時間を忘れて眺めてしまう十一面観音ですが、その隣の千手観音もものすごく立派です。

http://www1.city.obama.fukui.jp/obm/rekisi/sekai_isan/Japanese/data/186.htm

どうやらこちらの千手観音のほうが造立年代が新しいようですが、それを全く感じさせない十一面観音の色鮮やかさ。無理矢理今風のキャッチコピーをつけるなら「若狭一の美魔女」ということになりますか。観音様に魔女って失礼きわまりないですね。すいません。ちなみに元正天皇陵は慈眼寺のすぐ近く、慈眼寺からコンパスで測ったようにちょうどまっすぐ北に行ったところにあります。やすらぎの道沿いです。毎日私は元正天皇陵の前を通って通勤していることになりますね。

さて、綺麗な観音さまを見たあとは、リアル国宝である明通寺へ。
しかしそれにしても小浜の田んぼは肥沃で広大です。奈良や木津も田んぼばかりですが、こちらの田の広大さは何か桁が違うような気がします。どこまでいっても田・田・田。しかもやたらと刈り取りが早そうです。早稲なのでしょうか?三重や都祁村も早いですが、さらに早い気がします。

明通寺 明通寺2

駐車場について階段を登ると、山門!立派!国宝じゃないのに既に立派!そこを抜けると・・・出てきたで!国宝の本堂が!

明通寺3

うーむ、どこかで見たような・・・室生寺の・・・本堂?金堂じゃなく、本堂?と似てる気がしました。あとで調べるとともに鎌倉時代の建築物で檜皮葺きと蔀戸の感じが似てると思わせたのか。しかし確かに重厚でいて、屋根は柔らかみがあります。「これが国宝!」というポイントは分かりませんが、確かにいいです。

明通寺5

しかし何よりいいのが、本堂から振り返る景色。山々が迫ってきて実にいいです。
さてこの明通寺。開基はなんとあの坂上田村麻呂!征夷大将軍でみんな中学で覚えましたよね~。
寺伝によれば明通寺はこの坂上田村麻呂が蝦夷征伐の死者を弔う目的で806年に建てたとか。開基誰それというのはたいてい話半分で聞かなければなりませんが、アテルイを降伏させて連れ帰ったものの、朝廷に処刑を命じられて泣く泣く従った彼のことですから、自分の兵士のみならず好敵手の菩提を弔ったのかもしれません。遠い山々の向こうに陸奥での凄惨な戦場を見たのか、なんて勝手に空想してみます。

堂内にはご本尊の薬師如来が。近江やこちらでは薬師如来信仰も盛んなようにお見受けしました。重厚なご本尊でしたが、それより圧倒的に目立ってしまう懐かしい昭和特撮のような仏様が横で目立ちまくっていました。降三世明王です。

http://www1.city.obama.fukui.jp/obm/rekisi/sekai_isan/Japanese/data/130.htm

読み方は「ごうざんぜ」全部濁ります。この明王の有名な作例はもちろん東寺のもの(http://matome.naver.jp/odai/2126328173040609301/2140987928168029003)ですが、あちらは随分リアルというか、洗練されているというか、最近の特撮っぽいです。一部にしかわかってもらえない喩えですが、雨宮慶太作品のようなリアリズム。それに対して、明通寺の降三世明王はもっと昔の大魔神やウルトラ怪獣のような素朴だけどとにかく怖い感じがしてすごくいいです。あ、よく考えたら、仏像が特撮に似てるんじゃなくて、特撮が仏像に似てるんですね。

明通寺4

三重の塔も国宝です。五重もいいけど三重もいいですねぇ。階数が少ないことを感じさせません。

明通寺6

境内にある巨大なカヤの木です。樹齢500年の天然記念物だそうです。ウチの柿の木より年上。

しかしそれにしても小浜の重厚、濃密な仏像ワールド、すごかったです。あと6つ残ってるのにこの濃さ。本当はもっと回りたかったのですが、少しでも近畿に近づいておきたかったので断念です。ここも自転車でまわりたいなぁ。

このあと、一気に木之本まで移動して見たい仏像があったのですが、木之本まで行って、参拝時間の5時に間に合ったと安心していると、「ごめん、今年から4時」という非情なお答え・・・。本来は2日目にまわっておきたかった近江の観音さまたちを3日目に回して、その日は彦根で寝ました。

彦根

近江に来ても田んぼの広大さは桁外れ。見てくださいこの景色。この辺自転車で走ったらもう最高でしょうね。

え?自転車の話はもういいって?
何を言ってるんですが!「厄除け 奈良」で検索する人より、「ロードバイクブーム」で検索する人のほうが遥かに多いんですよ!このブログは!
全国のロードバイクファンの方には申し訳ないですが、次回も仏像ワンダーランド、近江の魅力に迫ります。