慈眼寺 副住職ブログ

近江仏像の旅

さて、先日の小浜に続き、朝から彦根から長浜に戻って仏像群を拝みました。

近江地方というのは本当に不思議なところです。信じられないくらいに仏像が集中している。特に長浜という場所の観音様の集中度は明らかに他の地域に見られないレベルです。130もの観音様が大切にされているそうです。さらに、それを篤く守っている共同体がいまだにあります。何よりすごいのが重文だからとか、国宝だから大事にするのではなく、「おらが村の観音さま」がどの共同体にも必ずあって、お坊さんがいなくても村だけできっちり管理しているところです。

まずは己高閣と世代閣です。ここは度肝を抜かれました。とにかく収蔵されている仏像の質・量がともにすごい。
特にご本尊扱いの十一面観音の洗練された流麗な顔かたちは京都でもなかなか見られないレベルです。
http://www.its-mo.com/c/%E9%B6%8F%E8%B6%B3%E5%AF%BA%E5%8F%8E%E8%94%B5%E5%BA%AB%E3%80%8C%E5%B7%B1%E9%AB%98%E9%96%A3%E3%80%8D%E3%80%8C%E4%B8%96%E4%BB%A3%E9%96%A3%E3%80%8D/DIDX_ZPOI%2C00000000000000508080/

さらに七薬師如来が全て揃っていたり、兜跋毘沙門天立像があったり、とてもこんな山奥の収蔵庫にあるとは思えない仏像がどっさり。
さらに同じ敷地内の世代閣には奈良時代の巨大な薬師如来があります。もう、黒々した色艶とでっぷりした体型で見た瞬間「奈良時代のものだ!」とわかる仏様です。、魚藍観音なんていうマニアックな仏像もあり、いくら見ていても飽きません。

ここからさらに車で数分いくと、今度は石道寺の観音様に出会えます。個人的には今回の旅行で一番印象に残った仏様になりました。

石道寺

パンフレットからです。彩色がまだ残る美しい観音様でありながら、どこか素朴な感じがする親しみやすいお姿でした。井上靖の「星と祭」にも出てくるそうです。なんと胎内仏が一万体内部に見つかったそうで、地元では子授けの観音として信仰されていたようです。

さらにここから車で10分ほど移動すると向源寺の有名な国宝の十一面観音があります。こちらの洗練度は相当高く、内外で評価が高いのもうなずけます。芸術性が非常に高い印象を受けました。そしてインド風?というか、ガンダーラ仏のような洋風のお顔立ちも相当カッコよかったですねぇ。

このあとも、国宝でも重文でもないけれど、個人的に気になる仏像をいくつか見て回って、非常に興味深い体験をたくさんしました。しかし、なぜ長浜にこれほどの観音信仰が根付いているのか。そもそも、なぜ近江なのか。

色々な理由は考えられます。曰く、琵琶湖の鬼門の方向で山岳信仰の場であった。叡山などの僧侶がみな奥琵琶湖で修行を好んでした。農村の生産性が高く、共同体の結束が強いことなども大きな要因でしょう。しかし私はそこに近江商人の財力と「三方良し」の倫理観を見ます。この地方は浄土真宗の影響が非常に強い地域です。真宗について詳しいわけでもない私ですが、歎異抄にあらわれる親鸞さんのラディカルな考え方には大変影響を受けました。一宗教家として見た場合、非常に魅力的な人物です。この親鸞さんの妻帯も肉食もいいですよ。修行しなくてもいいですよ。念仏さえ唱えたらいいですよいう考え方は、浄土宗から端を発したものですが、その徹底ぶりが実に潔い。他宗ながらそこはまぶしいほどです。この親鸞さん教えが、ちょうどプロテスタントの職業召命観が資本主義のバックボーンになったように、近江商人に単なる買利を越えた自利利他の精神を与え、倫理性に基づく営利活動を育てたことが非常に大きかった気がします。真宗はそのラディカルな性格ゆえに、本堂には阿弥陀如来以外の仏像は一切置いてはならない、という厳格な側面を持ちます。信仰としてはこのエリアは完全に真宗エリア。真宗一色と言ってもいいほどです。

では阿弥陀如来以外は大事にされないのか。そこがそうはならないんですね。ここで見た多くの仏像は、合戦や廃仏毀釈などで何度も打ち捨てられる寸前になっています。しかしその度に村人は湖に埋めたり、土中に埋めたりして仏様を守ってきました。近江商人を支える根本原理は合理性です。それゆえ現世利益の追求は当然行われます。そこで密教的要素や観音信仰は大事にされました。同時に近江商人には真宗を主とする自利利他の精神が根付いています。お寺が守るのではなく、自分たちで共有財産として、信仰を守っていくという気風が、まるで一揆のような団結力を持っていまだに残っています。

訪れさせていただいたところには、中にはお堂の前に看板があって、携帯電話の番号が書いているところもありました。番号にかけるとすぐに近所のおかあさんがやってきてお堂をあけて、拝観させていただけます。いやな顔一つなさいません。

近江は、本当の意味で豊かな場所だ。心からそう思います。あの、どこまでも広がる黄金の穂波は近江の精神性のあらわれなのだと思います。いい旅ができました。