お伊勢参り<前編>
さて、コウノトリチャレンジの疲労もとれたので、先日暇なときにお伊勢参りに行ってきました。もちろん自転車で。「コイツ、暇だなぁ。いい身分だなぁ。」とお思いかもしれませんが、夏場頑張ったので、勘弁してください。
コースはいにしえの伊勢本街道。本来は大阪玉造から、暗峠を越えて奈良を通りますが、奈良在住なので奈良スタートで。桜井まで一気に南下し、宇陀から三重県に入るルートです。
朝4時半に起きて、ご飯をしっかり食べます。5時半にスタート。5時半にはもう明るくはなってますが、寒いです。
国道169号に併走する細い道がかつての街道筋です。「肘塚町」と書いて、「かいのづか」という難読の町から本街道に乗り、ひたすら南下します。すぐに有名な帯解寺に到着。旅の無事を祈って、門前で手を合わせ、さらに南下します。天理市を越え、桜井市に。165号で東へ進路を変え、あとはひたすら東へ、東へ。伊勢って南国のイメージありますけど、橿原から東にまっすぐ行くだけなんですねぇ。
あっという間に長谷寺につきました。都祁村経由だと結構しんどいんですが、平地は楽です。長谷寺を過ぎると登り、ここからは宇陀市に入ります。このあたりはいわゆる「初瀬街道」ということになりますね。榛原駅を目指すあたりで勾配がきつくなり始め、渋滞も多くなります。トラック多いです。しかしそんな混雑も榛原駅まで。榛原を過ぎ、165号から369号、伊勢本街道に乗ると、車にはほとんど出会わなくなりました。ここから、このコースの一番傾斜がきついあたりに差し掛かります。と、言っても、斜度は8%もあるかないか。激坂、というような坂には会わずに、ゆっくりゆっくり登っていきました。さて、ここから曽爾村に一瞬入って、そのあとはいよいよ御杖村に入ります。このへんまでくると、自転車での移動としては、来たことがないほど東へ移動しています。ここからまっすぐ北へ線を引いてみると、北から信楽⇒山添村⇒室生寺と、普段乗りに来るルートの東の限界線がまっすぐ引けます。これ以上行くとなると、半日で往復が微妙になります。ウチの門限は5時半ですので。
さて御杖村。聞いたことはありますが、実際に来たのは初めてです。奈良県の方でも、ご存知ない方がほとんどではないでしょうか。
この黄色いのです。不自然ですよね。明らかに出っ張っています。奈良のバリバリの極東地域。歴史的にも御杖村は伊勢国に属していたこともあるエリアなのもうなずけます。この御杖村に入っていきなり、すごいものに出会いました。
???か・・・かかし???
どうやら「かかしコンテスト」的なもののようです。順位まで決まっています。勝手にブログに載せていいものか、著作権も気になりますが、逆にこのかかしがスタジオジブリなどに許可を取っているとも思えないのでオッケーでしょう。
個人的によかったのがコレ。
こんな村にも超大型巨人が・・・。
思わぬ出会いにビビリつつ、この近くの道の駅みつえで食事をとるつもりでしたが、9時半現在まさかのオープン準備中。付近のおじいちゃんおばあちゃんが医者で並ぶように待っていました。仕方なく、先を急ぎます。
このあたりから「北畠神社」の看板が目立ち始めます。そうです。あの、北畠氏です。北畠神社は北畠親房の三男、北畠 顕能を祀る神社です。北畠神社自体は奈良県ではなく、御杖村を越えてすぐの三重県の美杉町になります。都祁村の来迎寺にも北畠親房の足跡は残っています。奈良東部が南北朝時代に南朝の支配領域だったことが強く感じられます。親房は伊勢に南朝勢力を広げますが、最終的には海路で常陸国(茨城県)へ行ってここでも勢力を広げようとします。ものすごいバイタリティです。「貴族」のイメージが変わりますよね。
御杖村から美杉町あたりはトンネルも多いです。伊勢本街道を通ると言いましたが、実際には「並走」が正しく、伊勢本街道自体は山の中など未舗装の区間を多く通ります。マウンテンバイクでも降りずに通るのは難しいでしょう。トンネルをくぐるときはもちろんその上の峠を本街道は通ってますので、当時のお伊勢参りのハードさが分かります。伊勢本街道を通るルートは、 神宮を伊勢に祀った倭姫命が大和から伊勢へ向かった際に通った道とされ、由緒ある最短コースであるにもかかわらず、江戸時代には既にすたれ始めていたというのもうなずけます。お伊勢参りは命懸けの旅だったんですねぇ。しかしこの伊勢本街道を実際に歩いてたどってる人いるそうですが、何日かけてるんでしょうか。すごすぎます。
さて、美杉町より先は後編で。