HOWが大事
最近いつも思うんです。
人間の言動の価値は「What」ではなく、「How」なんだと。
立派なことをいう人はたくさんいます。
「国を守る」とか、「子供を守る」とか、「未来のために」とか。
でも、どんな立派なお題目を掲げても、それをいかにして実現していくか、という「いかに」の部分が、実は目的自体よりよほど重要なのではないかと。
以前、夜中の電車のなかで携帯電話で通話する女子高生に、怒鳴り散らして注意する会社員のおじさんがいました。たぶんおじさんの「正義」を全うするために頑張っているのでしょうが、結果として私にはおじさんは「悪」にしか見えませんでした。
結果として女子高生に通話をやめさせるのが目的なのです。頭ごなしに怒鳴ることは効果的でない上に、おそらくは「自分が正しい」という自己正当化の意味合いの方が強い。他人のミスにつけこんで自分のストレスを発散させたいだけ。
我欲が混入した時点で、もはや道徳とは別の次元で、人は行動し始めている。
声をあげたものが、必ずしも勇気があるわけではない。
声をあげない者は勇気がない者ではない。
粛々と、日々の生活をこなし、自分の手が届く範囲の人を幸せにするために自分にできることを少しずつしている人。
いちばんの賢者はいちばん静かな者だと思います。
天下国家を語ることで、自分まで大きくなった気になっている人は滑稽です。