創造的教育・・・
先日お風呂の中での話。
娘がお風呂の中でふだんおもちゃを入れている赤いネットを湯につけてじっと見つめていました。
しばらくするとおもむろに娘がペットボトルを私に渡し、件のネットを指差し、
「みずいれて」
と言ってきました。
「え・・・?」
と思ったのですが、命令なので、仕方なくお湯を注ぎました。
当然ですが、何も起こらず、ネットからお湯が流れていきます。
「いれて」
え・・・?ハイ・・・。とまたお湯を。結果は同じ。
「いれて」
ちょとちょっとちょっと!!!
コレどんなナチスの拷問?怖い!禅問答?
て・・・哲学?哲学的な問いかけ?深遠すぎて分からない!
どうしよう。娘が今、何者にも囚われない自由な発想で新たな試みをしている!でも俺はものすごい苦痛!
だって無駄だから!
無駄無駄無駄無駄!「無意味」を表す故事なんじゃないのというくらい見事に無意味!苦痛すぎる!
「いれて」
うわあ
「いれて」
「え・・・えーとね。あのね。コレね。あの・・・パパね。もうやめたいかなー」
「?」
「だからあのね。コレ、水、入らないの。アミでしょ?アミアミでしょ?アミは穴空いてるでしょ?だから水ジャーって出ちゃうの。」
「いれて」
きゃあああ
「だ、だからね。入らないの。ペットボトルには入るの。でもアミには入らないのよ。」
娘は不服そうに、ネットを水に沈め、「ほら、入るやないか」的な目で僕を見てきます。
「だから!それはアミが水に入ってるんであって、水がアミに入ってるんじゃないの!」
「?」
「だからおもちゃは入るの!アミの穴よりおっきいでしょ?でも水はアミより小さい・・・とかそんなのわかんないか!俺の理科知識が乏しい!ああでもよく考えると、水の中にアミが入ってると言ったけど、水の中のアミの中に水があるわけで、娘の発想は必ずしも間違ってはいない・・・。こどもの自由な発想からのとらわれないナマの問いかけに対してそんな杓子定規な大人の都合で答えていいのだろうか。尾木ママにお怒られるんじゃないだろうか?あの人最近なんでも口出しするし。将来創造的な仕事をする芽を摘んでしまうのではないのか・・・。俺は・・・俺は・・・」
「いれて」
「できへんわーーーーーー!」
私には創造的な教育はできません。