ひどい目にあっただけの人間ではいたくない
http://headlines.yahoo.co.jp/ted?a=20151002-00002120-ted
昨日はこれを見て、目からウロコと言いますか、妙に「ストン」と腑に落ちたと言いますか、とにかく納得してしまいました。
私たちはよく、災難に遭います。病気になったり、事故にあったり、虐殺されることもあるでしょう。家族が犠牲にあうこともあります。天災もあります。人災もあります。最近は芸能人の方ががんになるケースもたくさん見聞きします。その度に自分のことを考えたり、家族のことを考えたりしています。
不幸というのは、こういうことを言ったら怒られますが、ある意味では「おいしい」ことです。
こういうことを言うと怒られますけど、誤解はしないでほしいのです。別にみなさんの不幸がたいしたことがないなどという気はないのです。
もちろん辛い。とにかく辛い。どうしようもないほど辛い。
ですが、どうしようもないほど、誰もが認めてくれるほどに辛い状態になると、まるで自分の人生に箔がついたように、自分にふりかかった不幸を、ときに人は語り始めます。私だってそうです。つまり「語るに足る何か」を自分は持っている。そんな不幸を乗り越えた人間なのである。という、アピールです。
何の能力もない自分という人間に、急に降りかかった不幸。ですが、人はこれを語った瞬間、単なる「不幸にあった人」以上の何かになろうとしている気がします。
ある意味で、被害者や、災難に遭った人間は、最強なのです。
ちょっと辛くて愚痴を言った人には「そんなことぐらいで!」と他者の辛さを否定し、「私なんてね・・・」と語りだす。
被害者は永遠に加害者を苛む権利を持てます。反省を忘れたと感じた途端、加害者を人格否定します。彼らだけがそれを許されます。ある意味でそれは「特権的地位」でもある。誤解を恐れずに言えば、その「玉座」のちからは暴力的ですらあります。
ですが、いつまでも「不幸な私」「被害を受けた私」「恨む私」「それを乗り越えた意味ある生を生きる私」、そんな自分で居続けることは、実にもったいない気がします。がんを患った人の一番の望みは、がんを忘れることだと思います。ですが、それはできない相談です。だから、がんの啓発に生きる人生を選ぶ?それもまた生き方ではあるでしょう。でも、「がんになった自分」や「がんで親を失った自分」だけであり続けるのは、ものすごく疲れるし、なにより、自分の可能性を閉ざしてしまうことであるような気がします。がんになっていても笑えます。投薬中でも妙にチーズとか、洋風の濃い味付けが食べたくなります。少ししか食べられませんけれど。
彼女が言うように、内に秘めるあり方だって、ある。愛情も、決意も、覚悟も、後悔も、何も表に出し続けなければならないわけではないでしょう。ごく普通に笑い、誰かと話し、他愛もないことに熱中する。「それ」に出会うまでは、ごくあたりまえだったことは、「それ」と向き合いながらも、それをおくびにも出さない人生を送ることだって、可能なのかもしれない。
「不幸にあったことをアイデンティティーにする生き方」は、ひょっとしたら、自分がでくわした不幸よりも、もっとふしあわせなものなのかもしれない。
私は恥ずかしげもなく母の病気や自分たちの不妊治療の経験についてこんなところで書いてしまう人間で、それを自分では「もしかして、自分は不幸を売りにして、不幸で箔をつけたがっている、浅ましい人間なのではないか」と、自分への不信感が拭えませんでした。
ですが、彼女のスピーチで随分気が楽になりました。
なぜ、自分がそれを語るのか、に自分なりに直面できたからです。
私は同病相憐れみたいわけではない。
私の心のなかで基準となるのは、「可能性」です。
自分自身の可能性を広げてくれる、他者の可能性を広げるかもしれない、そう思ったときだけ、自分の体験を語るようにしています。
我ながら不必要なことをしているし、無意味なことをしている気もします。きっと聞いた人も忘れてしまっていると思うのですが、これから色んな幸せと、おなじだけの色んな不幸に出会うであろう若い人には、ほんの少しでも生きるヒントになったらと思って、自分の言いたくない話をするときがあります。
私もまた、自分で体験を口にすることで、思い出したくない体験を少しづつ整理していける気がしています。
不幸を乗り越えるというのは、そんなにカッコイイことではなくて、絶対に勝てない負け戦でもあるのですけれど、何というか、負けてる中にもいいこともあったりするような気がします。そしてやっぱり、なんだか重々しい役目を勝手に背負って、自分らしく笑えなくなるのは、嫌だなと思います。
病気と戦いながら、まわりに気遣いをしている芸能人の方の話しなどを聞くと、本当に胸が詰まります。何も言えなくなります。昔自分が聞いた単語がいくつも聞こえてきて、母親のベッドに夕日が差すのを見ていた自分や、夜中の病室で子供のように泣く母親の手を握っていたことを思い出して、叫んで走り出したくなります。
それでも母は、人生を肯定していたように思います。心が揺らぎながら、ときには人に当たったり、疑ったりもしながら、でも、自分の大事な人間を精一杯愛しながら、死んでいったように思います。
この季節は苦手です。
ほんとうに、こんなことばかり考えてしまいます。
いつか自分が、耐え難い不幸に出会ったときにも、不幸なだけの自分になってしまわず、心まで病気にならないでいたいな。そう願うだけの、私です。