ことば
先日娘の前で「うるさい!」という言葉を吐いてしまいました。
翌日娘が私に向かって私そっくりの口調で
「うるさい!」
と叫んだとき、本当に悲しい気持ちになりました。
自分の放った言葉はまわりまわって帰ってくるのだなと、心の底から後悔しました。
家族という小さな世界ですので、その経路が目に見えたわけですが、社会全体を駆け巡って帰ってくる言葉もあるのでしょう。おそろしいことです。
世の中には醜いことや、見るに堪えない現実もいっぱいあって、そんなものに、遭わせたくない、という思いと、必ず辛いこととは出会うのだから、汚いものや醜いものから目を背けるような子にはなってほしくない、という思いがあります。
とはいえ、それと私が汚い言葉を吐くのはまた別の話。
汚い言葉を吐くことは、私が世界をそのような汚いものとしてとらえている証でもあります。
同じものを見ても「うるさい!」と感じる人も、「元気がいいね」と思う人もいる。
言葉に出すことで、私は自分の感じたものをすべて、1つの言葉で規定させてしまい、つまりは汚く一色に塗りつぶしていることになる。
気分や感情などという不定形なものに支配されて、その気分に任せて汚い言葉を吐き、今度はその言葉に縛られて、自分自身の心を醜く規定していく。まさしく自縄自縛です。地獄です。私はいつも瞋恚の炎に包まれて身悶えしているのだと思います。
不思議なもので、子供はびっくりするほど私に似る。昔の私ではなく、今の私に似る。
彼女が飽きっぽいのも、人にグイグイ近づくわりに、グイグイ来られるのは嫌がるところも、頑固なところ、意固地なところ、怒りっぽいところ、臆病なところ、人を妬むところ、すべてすべて私そのものです。
私があの子を育てるのではなく、私があの子に自分を見て、恐ろしくなるのだ。
それを毎日まざまざと見せつけられる思いです。