平重衡 再評価
いきなりですけど。
重衡って奈良人にまず最初からイメージ悪いんですよ。
まず、「大仏商売」の奈良の大仏焼いてますから。コレはすごいマイナススタート。
でも松永弾正も焼いてます。でも正直そんなに悪いイメージない。
なぜか?たぶん「悪役然」としてるから。「悪」が堂にいってる。
あの「第六天魔王」信長が、「お前悪だよ!すげえよ!主君殺し、将軍殺し、大仏焼き討ちのトリプルスリーだろ?こえええ!」と評した「ワルも認めるワル」。「乱世の梟雄」の大先輩なわけです。なのに茶器コレクター。なんか底知れぬ悪役です。ふてぶてしい。ピエール・フランソワ・ラスネールは殺人の罪を問われた法廷で、その貴族的な佇まいに熱狂的なファンが詰めかける中、「わたしは人類を憎悪し、すべての同時代人に嫌悪をおぼえます。」と言い放って死刑になったという逸話がありますが、久秀はもっと激烈。あの信長を裏切って許されながら、もひとつ謀反を起こして、最後は「信長のク・ソ・バ・カ・ヤ・ロ・ウ」と呟きながら・・・かどうかは知りませんが、高級茶器と一緒に爆死。キャラにブレがない。なさすぎる。
ミスターピカレスクロマンという感じの松永久秀。日本のチェーザレ・ボルジア。マキァベリが知ってたら大喜びで書いてたと思います。
で、本題の重衡。
清盛の五男で南都の僧兵勢力打倒のために派遣され、奈良阪・般若寺付近に陣を張った僧兵と対決。そこで歴史的解釈は分かれるのですが、色々あって思ったより火の勢いが強すぎて、大仏を焼いてしまった人。
カッコ悪い。
その気がなくてやっちゃった。平家物語では「灯りをつけようとしたら、部下が”あ?火攻めッスね!了解ッス!”と勘違いして火をつけて回った」という説が載っていますし、いや、もとから火攻めの計画だったが思ったより燃えちゃったという説のほうが有力とも聞きます。前者だとしたらまず部下を全然コントロールできてない無能な大将ですし、後者の理解でも、悪人な上に「ご利用が計画的じゃない人」ということになり、正直、「平家のボンクラ五男」というのが正直な私の印象でした。このあたり苦労人の下克上大悪人松永久秀と対照的です。
ところが!どうやら平重衡、今、ちょっと人気らしい。
重衡供養塔のある安福寺さんの住職さん(自転車友達)によると、どうやら若い女の子なんかが訪れているらしい!なぜ!?
それは重衡の、私が見過ごしやすい、この特徴のせいでした。
「その美しい容姿は、牡丹の花に喩えられる」
顔かーーーーーーーーー!!!
イケメンの悲劇の武家というキャラはいじられやすく、また、戦国時代よりメジャーな人材が少ない源平の時代ということで、まんまとこんなゲームに登場していました。
http://auragame.jp/contents/contents/platina/genpei.php
まぁ二次創作にうってつけの人材だったということなんですね。もう、あの業界は常に素材に飢えてますから(笑)みんな貪欲だからなぁ。
なんかこんなのもあるし・・・
http://ameblo.jp/kobe-kiyomoritai/entry-11522293766.html
神戸清盛隊・・・。色々みんな考えてるんですねぇ・・・。
とはいえ、別に見た目だけの人ではなく、かなり客観的な資料とされる九条兼実の『玉葉』のなかで、その将才は「武勇の器量に堪ふる」と評されているそうですから、決して無能というわけではなさそうです。「最後の御大将 平重衡 義経が最も恐れた男」なんていう本も出ているくらいですから、案外有能だったようです。まぁ、特に人材のいない平家ということで、銀英でいうグエン・バン・ヒュー、ウランフあたりの人だったのではないでしょうか。悲劇的という点ではドワイト大将くらいかな?このへんの喩え、分かる人限られてくるけど。
しかし平重衡は何も二次創作に使いやすい萌えキャラだからおいしいなんていうしょうもない話をしたいわけではなく、重衡さん、ここからの話が浄土宗的に実に関連しやすい人物なんですね。
まず、重衡は一の谷の合戦で捕縛されます。このとき、平家方の持つ三種の神器と交換して取り戻そう、という働きかけがあったそうですから、平家にとっては大変重要な人物であったことがわかります。『平家物語』では、愛妻家の重衡のもとに妻輔子が駆けつけ、涙ながらの対面をし、重衡が額にかかる髪を噛み切って形見として輔子に渡す逸話もあります。(奈良当麻寺の奥の院宝物庫にはこのときのものかはわかりませんが、重衡の遺髪があるそうで、ちょっと気になるので今度自転車で行きたいと思います。)
しかし交渉実らず、重衡は彼を恨む南都勢力に引き渡されます。木津川河畔の安福寺の付近で斬首され、その首は般若寺近くに晒されます。
この斬首の直前に、重衡は法然上人と面会し、
「つらつら一生の化行を案ずるに、罪業は須弥よりも高く、善根は微塵ばかりも蓄なし。かくて命空しう終り候なは、火穴湯(かけつとう)の苦果、敢て疑なし。願は聖人慈悲を起し憐を垂給て、かかる悪人の助りぬべき方法候はば示し給へ。」
と涙ながらに訴えます。それに対し法然上人も嗚咽しながら
「罪深ければとて、卑下し給ふべからず、十悪五逆、廻心すれば往生を遂ぐ。」
と教えを説いと、と『平家物語』にあるそうです。
仏を焼いた男がそれでも仏に縋らざるをえない、というドラマチックなシーンです。
断っておきますが、史実として、ちょっと整合性の取れない部分もあるそうですし、平家側に同情的な平家物語が、天下の悪行を行った重衡のフォローをするのはありえる話ではあります。冷静に見てみれば、南都仏教の非道さに対比して、当時既成仏教に迫害されていた法然上人をここで登場させるあたり、ちょっとあまりに「政治的」なシーンだなとも思います。話が出来すぎていて、実はこんなこと、たぶんなかったんじゃないかなと思ったりします(笑)
ですが、重衡の悪行が大きければ大きいほど、そして仮にあの焼き打ちが過失であれば余計に、人間の悪行というものがいかに根深く、しかも本人のコントロールを離れた縁によって引き起こされるものであり、悪人善人の区別など意味はなく、皆、等しく往生を願う凡夫なのである、という浄土宗の根本のところに非常に密接に関わるエピソードだなと感じます。親鸞上人の「千人殺せば往生」の話なんかはこのあたりの「縁起」「凡夫」の要素をあまりに端的に表していて、『歎異抄』の表現の見事さには昔から感嘆しますけれど、それに類する見事な逸話だと思います。
話を重衡に戻しますと、能の「重衡」という作品では、京見物をした旅の僧が、奈良街道を通った旅の帰りに、奈良阪で老人に出会い、奈良見物ガイドを頼みます。老人に教えられた寺にいくと桜の下に卒塔婆があり、老人は重衡の供養を頼んで卒塔婆の向こうに消えていきます。夜、僧のもとに重衡の霊が現れて、生前の自分の罪業を語る・・・というあらすじです。実はこの能では、重衡はまだ成仏していなくて、東の空の戦火を見て、刀をとり、また戦に向かっていくという、死してなお修羅道に彷徨う姿が描かれていて、「法然さん、大変!効いてない!効いてない!」という浄土宗大ピンチな作品なのですが、人間の業を描いた作品としてはなかなか迫力があっていいような気がします。予定調和じゃなくって面白い。そこはスーっと光って消えていくところやろ!(笑)
まぁそんなわけで結論めいたことも言えないのですが、嫌いだ嫌いだと思っていた平重衡に、結構ハマっていることに気づいた副住職なのでしたー。
実は、この「副住職なのでした」って終わり方、「今日のワンコ」を意識しているらしいですよ!分かりにくい上に、気持ち悪いね!