『虚構推理』の名前の分析
まだ『虚構推理』の話です。
本編の最後には「岩永琴子」が「イワナガヒメ」に例えられます。
イワナガヒメとコノハナサクヤビメの伝説は京極夏彦『絡新婦の理』にも出てきますが、ニニギに嫁入りした二人の姉妹神のうち、永遠の命を持つイワナガヒメのみが容姿が醜かったために返され、それを恨んだイワナガヒメの呪いで、ニニギの一族、すなわち天孫一族は永遠の命を失い、限られた寿命を持つようになったという話です。
「不死である九郎のそばにいるのはイワナガヒメであるべき」という、九郎なりの告白と言いますか「デレ」の部分なのですが、当の九郎の名前もちょっと分解してみます。私、神道には詳しくないのでもっぱらネット検索で調べてみました。
九郎は「桜川九郎」と言います。
最近のミステリはエキセントリックな名前が多くて辟易しますが、「岩永琴子」も「桜川九郎」も常識の範囲内。キラキラしてません。ですが、色々なアナグラムがありそうです。
最初に思いつくのは実は「九郎」のほうで、「九郎判官義経」ですが、こちらに引っ張られると、「桜川」が読み解けにくくなります。むしろ「桜川」から読み解いた方がヒントが多い。
「桜川」で色々検索して、これかなと思うのは桜川磯部稲村神社ですが、ここはコノハナサクヤヒメを祀りますので、ちょっと内容とそぐいません。
そこで他を探すと同じ桜川市にある大国玉神社。これが怪しい。主神は当然大国主。こっちで探してみましょう。
そこで「九郎」に移ります。これだけではただの「九男」という意味だけ。九郎判官のほうがよほど手がかりがある。
とはいえ、先ほどの大国主の話から想像するとどうでしょうか。
大国主といえばスサノオの子とも6代後の子孫ともされます。
スサノオも大国主も粗暴な面と柔和な面の両面を持ち、スサノオは牛頭天王と習合します。そして牛頭天王といえばまさしく妖怪「くだん」と一緒くたにされていますから、あ、この線ですね!つまり九郎=大国主で、スサノオの一族ということでしょうか。
さらにスサノオの子供たちを調べます。古事記、日本書紀と視点を変えて『出雲国風土記』を見てみます。大国主といえば出雲ですからねぇ。
あっ!ビンゴかも!
『出雲国風土記』によるとスサノオの子は「8人」!
青旗佐久佐日子命(アオハタサクサヒコノミコト)
都留伎日子命(ツルギヒコノミコト)
衡鉾等乎而留比古命(ツキホコトオテルヒコノミコト)
磐坂日子命(イワサカヒコノミコト)
国忍別命(クニオシワケノミコト)
和可須世理比売命(ワカスセリヒメノミコト)
八野若比売命(ヤヌノワカヒメノミコト)
となります。
と、いうことは、「九郎」はこの8人のどれでもなく、あらたに作られた9番目の子供、という意味になります。これは興味深い。くだんと人魚の肉を食べさせて新たに作られた、という設定にバッチリ合いますね。
さらに、作中に出てくる黒幕「六花」は「六番目」という意味だとすると・・・和可須世理比売命!あ!女神!ピッタリ合うな。しかもこちらが大国主の正妻。意志の強い神で、大国主に嫉妬する。ああこのへんもなんか話に合うな。
九郎=大国主という筋は間違いなさそう。
しかし、くだんと大国主はつながるけど、人魚は・・・。
そこで人魚伝説も神社系で調べましょう。
人魚の肉を食べたといえば八百比丘尼。この伝説は米子の粟島神社。
面倒なのでWikipediaで粟島神社と・・・
由緒
733年(天平5年)の『伯耆国風土記』では、こびとのスクナビコナ(少彦名命)がこの地で粟を蒔いて、実ってはじけた粟の穂に乗って常世の国へ渡り、そのために粟島と呼ばれている、と書かれている。(つまり、粟島は少彦名命の現世での最後の地、ということになる。)
『日本書紀』でも同じような逸話があり、スクナビコナが淡島(粟島)で粟茎に弾かれて常世へ渡ったとされている。
民話では、こびとであるスクナビコナが天界から下界の海へ落ちてしまい、空豆の皮で船を作って伯耆の島(のちの粟島)に漂着する。そこで出雲の神であるオオクニヌシ(大国主)と知己になる。スクナビコナが排便すると、天界にいた頃に食べた粟の実の種が出てきたので、これを島に植えたところ数年で島は粟が一面に広がった。すると、アワ畑に据えられた案山子のお告げで天界に戻るように命を受け、粟の茎を曲げて穂につかまり、茎がまっすぐに戻る力で天界へ飛んでいった。このことから、オオクニヌシはこの島を「粟島」と名づける。
おおお!大国主絡み!しかも常世の国=不老長寿の国へ行ったきっかけ!完璧ですね!
いやー名前一つとっても実によく考えてある。さすが城平京。
ただ問題は岩永琴子の「琴子」ですね。ここだけ分からないなぁ。
この際、「子」は置いといて、「琴」で調べましょうか。
「スサノオと琴」ならどうかな・・・。
あ!あった!スサノオの娘、スセリビメはスサノオから「アメノノリゴト」という琴をもらった、とある。
ん?スセリビメ=六花のことじゃないの?
どちらもスヤリビメ????
うーーーーん。
もしかして、虚構推理とは、琴子と六花が、九郎=大国主の正妻になろうと二人で対決する話なのかもしれません。
正当性で言えば完全に六花のほうが優勢ですが、そこは虚構推理ですから、弁舌と論理を駆使して、虚を実に変える戦いなのかもしれません。
「一つ目一本足」と言えば、普通に妖怪「いっぽんだたら」になるわけですが、こちらは鍛冶や職人の神ですなぁ。ちょっとイワナガヒメと繋がらない。まぁ宮崎県の都萬神社の伝承にクノハナサクヤビメの玉の紐がおちて、池の魚の目を貫いて片目になったという伝説はあるのですが。
琴の方は、他に琴と言えば弁財天。弁財天と言えば、宇迦之御魂神に由来する宇賀神があり、こちらは蛇として化身することも多く、蛇は蛇で隻眼の蛇の神話が結構あるのですが・・・。
まぁこのへんが限界かな。
しかしよく考えられた名前です。平凡そうな名前なのに。一つの作品を生み出すって、すごいですね。