慈眼寺 副住職ブログ

私は、 AM

車に乗ったとき、そこから何が流れているか、というのは、その人の人となりをはかる際になかなか重要です。

もう私なんかは一日中幼児番組のDVDが流れているのですが、若き日にはポップスを流したり、FMの洋楽を分かりもせんのに流していたり、要はカッコつけちゃっていた時代がありました。

ところが長じて、「仕事」というものをするようになると、なんか違うなぁと思うようになります。

当たり前です。そんな甘酸っぱい感情を一日中引っ張れない。毎日全然甘酸っぱくないから。

延々と続く渋滞。
中央環状の高架道路でイライラしながら、そこで聴くのは愛だの恋ではない。名神の名塩の渋滞に完全につかまって、そこで聴きたいのも失恋じゃあない。

聴くでもなく、聴く。
かっこよくもない。洗練されてもいない。賢くもならない。

ただ、そこから流れる人の会話をただ漏れ聞くような。

音質は悪くていい。ときどきロシア語やハングルが混じってもいい。でも、第二阪奈のトンネルでも途切れない。

AMですよ。男はAMラジオ。

仕事をするようになったらAMラジオ。
年を取れば取るほど、AMラジオ。

たこフェリーのCMとか、スジャータの時報とか、大阪ホールはパラダイス!ウー!とか。行こうみんなでワークマーン♪とか。

そういう行ったこともないし、行く予定もないけど、なぜか知ってる、みんな知ってる、あの世界。
そういうのが、昔はTVにもちょっとはあったんですけど、もう、今はない。

ラジオっていうのは、田舎なんです。故郷。

都会の真ん中で聴いても田舎。帰るべき場所。

スポーツ中継なんかTVより面白いですもん。
ラジオにしか現れない有名人とかいるし。顔見てたいていガッカリするんだけど。

日本中の田舎のおじいちゃん、おばあちゃんに繋がるどこでもドア。
それがAMラジオ。

本当にしんどいのは日常。

恋愛とか、失恋とか、受験とか、そんなん非日常。過ぎ去ればむしろいい思い出。

問題は、そういう事件が終わったあとの、ただただ続く、代わり映えしない、日常。

それが大変なんだ。そっちが大変なんだ。

そういう、一番しんどい時間、そっとそばにいてくれるのは。

下品で、猥雑で、洗練されていなくて、タメにならなくて、どうしようもない

AMラジオ。

 

個人的にはABCとMBSなんや!