慈眼寺 副住職ブログ

同級生

この3連休は厄除けにたくさん来ていただきました。
昭和50年生まれ数え年42歳の方が次から次へと来られまして、私と同い年なんだなぁ、同じ年でも、年上に見えたり、年下に見えたり、色々な人がいるなぁなどと感慨深いものがあります。実際に小中同じだった同級生も来てくれました。クラブまで一緒だったのですが、付き合いも随分長くなりました。

昭和50年生まれ。

いわゆる、「団塊ジュニア」という言葉の指す世代は曖昧ですが、狭義では1970年代前半、広義では1970年代後半を指します。毎年200万人子供が生まれていた時代です。現在は100万人ですから、倍の子供がいたことになります。この70年代後半からは、本当に坂を転げるように減っていきます。日本の戦後の出生数の2つの大きな山が、団塊の世代と団塊ジュニアになります。

今の20代は「生まれてこのかた日本は不景気」という世代でもありますが、団塊ジュニアは、日本の過去の栄光?から、だんだん日本が元気をなくしていく課程をじっくり見てきた世代です。「昔の日本」のギリギリの残り香があり、川で遊び、野山で遊んだと同時に、ゲーム機については黎明期からゲームと一緒に育ってきた世代でもあります。ブロック崩しからゲームウォッチ、そこからスーパーカセットビジョンが誕生し、ファミコン、ディスク、PCエンジン、メガドライブ、ゲームボーイ、スーパーファミコン、ネオジオ、3DO、プレイステーション、セガサターン、NINTENDO64、ドリームキャスト・・・。

自分はゲーム機をほとんど買ってもらえない家でしたが、友達の家に行って、「ゲームを見るだけ」という今のお子さんでは考えられない控えめな遊び方をしていたのを覚えています。

この世代は強烈な受験戦争の世代。名目上で数十倍、実質でも10倍近い競争率がある学校もありました。不登校やいじめなどの現在悲しいかな「当たり前」になった問題が顕在化してきた世代でもあります。

バ ブル期の大学生や大人を見て、「大学に入ればあんなに楽しそうな世界が!」と思って勉強し、大学に入る頃にはバブル崩壊。成人式で阪神大震災と地下鉄サリ ン事件に見舞われ、4年生になったら就職氷河期。そのまま30代まで部下が全然入ってこないため、いつまでも下っ端のままリーマンショックを迎えていま す。

まぁ、世代論、などというものは、どこまでも自分の狭い視点を絶対化する、あまり意味があるとは思えない、あまり賢くない思考の産物なのですが、とりあえず一体感らしきものは感じてしまいますね。200万人が同じ世界を見るはずもないのですが。

とにかく、41年経って、みんなそれぞれがそれぞれの人生を歩んで、大人というか、おっさんになってきたわけで。

そんな同級生がやってきては、「今年無事に過ごさせてくれよ」というお願いをしてきてくれたら、やっぱりそこは他人ごとではない感じがやはりします。いや、もちろんどんな年齢でも他人ごとではないのですが、余計に思ってしまいます。はい。

みなさん、それぞれの顔に、それぞれの年輪を重ね、それぞれの背中に何かを背負っているからこそ、無事を祈りに来てくださっているんだと思います。

そんな42歳に、42歳が心を込めてご祈祷させて頂きます。

ガンバレ!昭和50年生まれ!