慈眼寺 副住職ブログ

もう5年

昨日は仕事で疲れてそのまま寝てしまいましたが、昨日であの東日本大震災から、ちょうど5年が過ぎたことになります。

「そうか。もう5年か・・・」

と、一気に気持ちがあの頃に飛びました。

こちらでは特にどうという被害に遭ったわけでもないのですが、5年前の日本列島の暗さといったら、なかった。
テレビを見ては、災害に立ち向かう人々、打ちのめされる人々に涙が止まらない日々。
本当に、本当に、ああいうことがあってはならない。

ああいうことが起こらないだけで、実は「たいしたもんなんだ」と思うようになりました。

政治家とか、警察とか、畢竟「大人」の仕事っていうのは、ああいう涙を流させないってことだけなんだ、と思います。

普通の暮らしを、それぞれの持ち場で、ただ過ごしていく。

それがいかに大事なことなのか、そういうことを思い出す日が3月11日ですね。

 

今日は冷たい風が吹くけれど、どこまでも晴れ渡った高い空でした。

季節は春も間近。慈眼寺境内に、あんずの花が咲き誇ります。

あんず

今日、前途ある大学生、大学院生におおぜい慈眼寺に来ていただけました。
某大学の研究室の方々が、資格試験の合格祈願に総勢27名も来られ、住職が合格祈願のご祈祷をさせていただきました。

試験の合格も一大事ですが、資格の有無ではなく、その資格で何をするか、が大事だと思っています。

資格をとったらよい人生が約束されるわけではありません。
少々お給料が高くなるかもしれない。
でも、資格がなければないで、そういうもんだと思って仕事をするものです。
逆に資格をとったことで、「俺は○○の資格を持ってるのに」なんて資格に縛られるようになったら、何かを得たつもりで、その実、何かを失っているのでしょう。

資格も権利も職業も、それを行使して何をするか、こそが重要だと思います。

前途洋々たる皆さまが、それぞれの場所で、この日本というちっぽけな国の涙を、少しでも減らすような「大人の仕事」をして下さると、信じております。

ごく当たり前のことや普通のことが、「たいしたこと」なんだと思います。

一本のネジを締める。まな板を拭く。一回確認の電話をする。小まめに電源を切る、でもいい。「国会で寝ない」だけでもいい。

「ちゃんとする」ことが「たいしたこと」です。戦うことです。

私も自分の持ち場で戦います。

3月11日は、思い出す日。
3月12日から、戦う日。