追い風参考
こんにちは!娘の将来の夢が「ジュウオウシャーク」の副住職です。
いやー昨日のジュウオウジャーよかったです。ゴリラのラリーさんが主人公にパワーをあげたところ、まさかの白髪で最終回のジョーみたいになってました。ああいう、「パワーアップに代償がある」というのはリアルでいいです。これ以後のパワーアップも素直に喜べないので制約も多くなりますが、話にリアリティーが出てきますよね。簡単にパワーアップするのを誤魔化すために、人を死なせて「児童向けなのに人が死んでシリアスでしょ?」なんて安易なやり方をする脚本は下の下です。結局作り手に信念がないから、キャラクターの行動が支離滅裂で、つまり「キャラクター」として成り立っていないからああいう小手先に逃げるんですなぁ。
話は変わりますが、今日、2時間だけ夕方時間をもらって、久しぶりに自転車に乗りました。
今日は強風でして向かい風っぷりがひどい。下ハンもって風をやりすごそうとしたんですが、坂登ってんの?というほど押し戻されます。ひどいときには平地なのに20㎞/h下回ってました。もうひたすら低くかがんでやりすごすだけ。
逆にすれ違う追い風の人は快適そう。うらやましいから向き変えようかとおもったくらい。
用事を済ませて帰り道は追い風のはずでしたが、特に押されてる感じがしないから不思議。逆に追い風のはずなのにちょっと向かい風もときどき感じたりするくらい。基本的には押されてる、とは感じずに、無風、と感じる状態。それが追い風なんですよね。不思議。
これって、人生にも言える気がするんですよねぇ。
不思議なことに、追い風を受けて、助けてもらっているときって、その助けに人間は全然気づかない。助けてもらって快調に走ってるのに、それを全部自分の力だと過信する。大間違いなんですよね。
逆に向かい風のときは、とにかくつらい。きつい。全然楽しくない。
でも、こんなときこそ、自分の実力がどんなものか思い知らされる。そして、普段いかに人に助けてもらっているか、骨の髄まで感じることができる。
まだまだ自分は助けてもらった恩にも気づかず、自分の力を過信して調子よく坂を下ってるだけの未熟者です。
これから、もっともっとつらい、超向かい風や、激坂を前にして、愚痴をこぼし泣き叫んでわめき散らして醜態をきっと晒すことかと思います。
それもまた、他人に助けられているからこそです。
愚痴は聞いてくれる人がいるから吐ける。泣き言も駄々をこねるのもそう。相手に甘えているからできる。
そんな情けない自分でいられるってことは、実はすごく幸せなことなんだなぁと、思えたらいいなぁ。
今日はそんなことを思いながら、ペダルを漕いでいました。