慈眼寺 副住職ブログ

きりにきりきり舞い

真田丸、面白いですねぇ。本当に面白いです。
コミカルでもあり、シリアスでもあり。色々な面の楽しさがあります。毎週45分があっという間。
今週の祝言の囲碁を打つシーンなんて、久しぶりにドキドキして見ていました。
こんなにドキドキしたの、久しぶりかも。
みなさん芸達者で実にいいです。出浦昌相役の寺島進さんなんて、同じ日の朝には「ジュウオウジャー」でどうぶつの被り物してる変なオジサンなので、落差がすごい。本当に名優揃い。

一人を除いて。

そうそれは長澤まさみ。

ネットでも散々彼女演じる(?)「きり」の全く空気を読まない「お前、要るかぁ???」の声の集中砲火で叩かれております。
もう誰に対しても失礼。誰に対しても邪魔しかしない。どんくさいけどお人よしなら愛せるけど、性格も悪い。
のび太以下。邪悪なのび太。最悪。きり最悪。
長澤がでてくると拙僧の貪瞋痴が爆発します。なんだこの三毒煩悩の塊のようなおなごはッ!許すまじ!

なんてイライラ、イライラしていて。

今日、ようやく気づきました。

もちろん、これって三谷さんの演出で、何らかの意図があるんだろうと、きっとそうなんだろうとは思っていましたが、それにしても不愉快千万。何がメリットなのか全く分からん。きりが出なくなったらもっと話に集中できるのにッ!

なんなのだコイツは。オババさまにも家臣の娘の分際でほぼタメ口。単純に年配のものを気遣う気持ちもない。
友達の幸せも素直に喜べない。真田の軍略の邪魔ばかりする。
何なんだお前は。何なんだよ。本当にもう!

今日、ようやく気づきました。

つまり彼女だけ、違うんです。
身分もない、忠義もない、欲望に正直、気の赴くまま勝手ばかり。

彼女だけ、現代人なんですね。

謀略、謀略で、昨日の友を平気で裏切る昌幸たち。
人質に行けと言われればハイわかりました、と黙っていくオババさま。
側室だけどいい?と聞かれて喜んで!とついていくうめちゃん。

こいつらがおかしいんですよ。本当は。

三谷幸喜って変人で、何を描いても熱中しないというか、落ち着きがないというか、話や視点をどんどん変えてしっちゃかめっちゃかにする。基本、クスリと笑う小ネタの集合体で作品を作り上げていく。話に熱中させない。脱線ばかり。こういう作品を作る人は人が悪い。熱くならない。どこか冷めてて、熱くなってる人を笑う人。人が悪い。本当に人が悪い。

でもこの作品は大河。まさしく一本の大きな河。戦国の世という巨大な河に流されていく個人の悲喜こもごもを描いていく。個人の価値はどこまでも低い。人の命はどこまでも軽い。どの人物も「歴史」という大きな流れで、教科書通りの仕事をこなして死んでいく。

そこで自由に動かせるのは史実に残らない登場人物、残りにくい登場人物だけなんですね。いってみれば『三国志』のNHK人形劇のシンシンとロンロンですよ。余計分かりにくいか(笑)だから女性がみんな生き生きしてる。女性は当時は「女」としか書かれないですから。ちゃんと名前が残ってる人はかなりレア。時代は違うけど、古典の時間に「菅原孝標女」っていう作者名見たときは衝撃的でしたもん。「女」ってなんだよ、と。古典に残るような作品書いてるのに「女」って。でもだから逆に女は自由に描ける。

そんな女性たちの中でも、突出して自由なのがきり。

身分関係なし、戦知らね、真田家の命運?さぁ・・・みたいな。

そのくせ恋愛だけはしてる。しかも超子供っぽい。しかも演技が大根。ヅラも合ってない。アレ絶対わざと。わざと合ってないヅラにしてる。そもそもわざと下手な役者使ってる。顔だけ綺麗なだけに余計腹立つ。無駄にスタイルいいし。それもわざと。

違和感、なんでしょうねぇ。

真田丸の世界観にどっぷり浸からせず、どこかそれを相対的に冷めた目で見るための視点。自分は大河なんて柄じゃない。でも撮れというなら撮ってやる。俺に撮らせたらこうなるよ!というのが「新撰組!」。アレで惨敗だったけど本人は悪いと思ってない。じゃあお前らをだまくらかして大真面目に時代考証してやってるフリして熱中してる歴史バカを笑ってやる。俺が描きたいのは人間の姿。歴史の駒じゃない。

そういう気持ちが表れているのが、きりなんだと思います。

「祝言」の回の碁盤の上の碁石をけちらす小刀、あれこそがきりの存在意義の象徴なんだと思います。

それをわかってやってるなら、長澤すげぇってことになりますし、わかってないならそれではそれですげぇ(笑)ということになります。

きりの役割を信繁にやらせると矛盾する。主人公が現代人って、それ信長でやってたやつ。あんなのただのコメディです。
確かに信繁は昌幸の武将としての生き方 に疑問を持ち、悩む存在です。でも、結局はそちら側の人間。そうしないと、史実の行動を選択できなくなる。キャラクターに矛盾が生じる。だから、悩みつつ も父と同じ生き方をする。現代人と戦国人のあいだを揺れ動く存在。揺るがぬリアリズムの戦国人昌幸と、何の目的意識もないただの人間きりのあいだで揺れ動く存在とし て、どうにかバランスをとってあの物語は成立している。

そういう意義が読み取れた「祝言」の回でした。

が・・・。やっぱりあいつ、出てこない方がスッキリすんなぁ(笑)