慈眼寺 副住職ブログ

システムで語る

三菱の不正なんかがかまびすしく糾弾されております。
実際大変残念で、許し難い話かと思います。
議員の汚職も後を絶たない。これまた同様に許し難い。

とはいえ。

世の中には便利な言葉があります。たとえば政治経済などで習う政治用語の「構造汚職」。
これは、政治家が汚職をした場合、個人が悪いのは間違いないが、そもそも議員がその気になれば簡単に不正を行える法的な構造自体に問題があり、汚職は個人の性質だけでなく、その構造が生んでいるのだという意味合いを含んでいます。

もちろん個人の道義的責任を問わないわけではない、という但し書きをした上で。

夜行バスの事故や電車の脱線事故、企業の偽装や不正、政治家の汚職、こうしたものはすべて「さもありなん」な状況が生んだものである、という部分が、実はかなりの割合を占めているということを忘れてはならないように思います。

私は部活で生徒にアドバイスを求められたとき、結果として起こった「負けた」「ミスをした」ということを言わないようにしています。

ミスをしたから負けるのです。当たり前です。「ミスが少ない人」が「上手い人」「強い人」です。確率の問題です。いかに、ミスする確率を減らすか、が大事なのです。

なので、生徒に「ミスが多い!」と言うだけでは、それは「指摘以下」だと言えます。負けた人に「ミスが多い」というのはほぼトートロジーです。「頭痛が痛い」と同じです。

「ミスが多い」だからその原因は何で、それを克服するための練習は何なのか、精神的なミスの原因を無くすための心の持ちようなど、「システム」に言及するアドバイスこそが真に求められるべきものだと思っています。

今回の三菱の不正も、試験のシステム自体が、燃費計測の場に検査官がいなくてもよいなどやりたい放題。逆にこの体制でもし三菱以外やっていないのなら、今回は「三菱以外はちゃんとしていた」という胸を張るべき結果だと思います。実際はどうか知りませんが(笑)

もちろんシステムにもその中身が問われます。検査官がいるだけ、で形式的な仕事をするだけ、なら、役所がまた一つ仕事を増やして税金を無駄遣いするだけです。車検などもそうですが、本質的な部分をまるっきり骨抜きにされたシステムがたくさんあります。せっかくゴミを分別しても、焼却場では火力不足のために不燃ゴミを混ぜないと焼けないということで、結局一緒に燃やしている自治体もあるそうです。日本人は規律好きで真面目なのは結構ですが、無意味に真面目なのは滑稽で、有害です。

自分が従う「システム」に対してその「外側」から監視する目線。

それがこの国には戦前戦後を通じて絶望的に欠けている。

そのように思います。

「民度」などというあやふやで自分を褒めて気持ち良くなるような言葉は捨て、同時に「とりあえず謝っておきさえすればいい」という無内容な奴隷道徳も捨て、自分を自分で高めていくような個人がたくさん増えれば、この国もいい国になるなぁなんて思います。

「○○はもっとひどい」なんてよその国と比べることに意味はありません。「私の敵は私」です。「私の味方も私」です。

今日はそんなことを考えていました。