引退
本日指導しているクラブの3年生が完全に引退しました。
なかには中学での実績も十分で、私にはもったいないような才能をもった生徒もいまして、正直この子たちは本当はもっと強くなるはずではないのかと自問、自責の日々でした。
今日の最後の試合ではコーチ席に座って最後まで部員の頑張る姿を目に焼き付けました。
広い会場を見上げると、目の前の応援席で野太い声で応援するウチの部員たち。
なぜか男子が多いのでいつもこうなります。
入ってひと月ほどの一年生も、1時間半ほどかけて応援に来てくれています。
試合は負けてしまいましたが、彼ら、彼女らをバックに、二人の部員が闘う姿は、見ていてこみあげてくるものがありました。
試合の内容より、そちらのほうが財産なのだと思います。
意識が高く、団結の強かった3年生が抜け、さびしくなるクラブですが、また一からです。
そういえば毎年こうやって積んで、積んで、また一からの繰り返しでした。
また今年も積み上げさせてもらえることに感謝しながら、後悔のないように頑張ろうと思います。
今年でやめるはずだったので、心がすっかり緩んでいて、っていうかそもそも身体がどんどん緩んできていて、ここ4年ほど体重は増える一方。もう一度クラブをさせてもらえることが決まってから、まずは身体からと、連休からずっと身体を絞ってきました。自転車・ジョギング・バドミントンに食事制限。もう8kg落としました。自分も部活モードで頑張りたいと思います。
お坊さんが勝った負けたのとこだわるのは、おかしい気もしますが、仏教徒だから、こだわりを捨てて勝っても負けても生きても死んでもいい、と悟ったふりをするのは、最近ちょっと違うかなと思っています。頑張らない言い訳に「こだわってない」と言うのはただの卑怯者です。
本気で頑張って、本気で負けて、本気で失って、どうしようもないときに。
勝っても勝っても心が安らがない先に。
「そういうもの」はある気がしています。