慈眼寺 副住職ブログ

「何を目指してるの?」

ときどき、「何を目指してるの?」とか聞かれるんです。

バドミントンいっつもいつも頑張ってるけど、何か目指してるの?
自転車いっつも乗ってるけど、何を目指してるの?
お説教練習して、説教師で食べていきたいの?
先生が本業なの?お寺なの?何になりたいの?

なんか色々聞かれるんですけど、別になーーーんにも、目指してないんですよね。

バドミントンの大会とか出たくないんです。昔は出てたんですけど、丸一日使うのって職業柄難しい上に、あまり楽しめなくて。別に試合に勝つために練習してるんじゃないんですよね。楽しみたいだけなんです。

自転車も大会に出て優勝したい!とかそういうのは・・・。速くなりたくないわけでもないんですが、正直、バドミントンをやって、本気で練習した分野でさえ、アレなんだから、自転車なんて通用しないのは目に見えてるわけです。バドミントンで社会人はじめで、基礎連すっぽかしてゲームばかりやっても、絶対に越えられない壁があるように、自転車だって、逆立ちしても勝てないことはよーくわかっているんです。本当に、奈良公園で羽根突きをしている感覚で、自転車に乗っています。そのくらいが一番楽しいんじゃないですかね。ただ、自転車には用具自体を愛でるという要素が強いので、そこがまぁ、さらに楽しくなる原因なのかなと思っています。

なんにせよ、目標とかないんですよね。なんかダメ人間みたいですけど。

バドミントンが好き。自転車が好き。本読むのが好き。

で、日常生活を楽しくするのがゴールなので、その先に何か「こうなりたい自分」とか設定してなくて。敢えて言うなら、「もう達成している」と言いますか。

なんか目標作る人に限ってやめちゃうんですよね。上手い人ほど燃え尽きちゃう。僕は何も上手にできないので、いつまでも続けてしまう。何一つモノにならないんですが、つまりずっと楽しいわけなんですね。アレ?めっちゃ得じゃないですか?今気づいたけど。

いや、本当にお恥ずかしい話なんですけど、いつの自分に戻りたい?って聞かれると、

「え?今がいいよ。」

って、答えます。
毎年自分的には自己ベスト更新中なんです。いや、別に何にも記録達成してないんですけど。
とにかく、年はとって毎年おっさんになっているんですけど、「いやー今の俺、いいな。去年よりいいな。なんか、楽しいな。」って毎年思ってるんですよね。30くらいまでは全然そんなことなくって。毎日自己嫌悪で。アレ嫌でしたね。

30越えたくらいからかな?教師はじめたくらいから、年々自分のことを好きになりはじめまして、40越えたらますます好きですね。

気持ち悪いですか?
まぁ、誰も言ってくれないんで、自分で言うしかないって裏事情もあるんですが(笑)

いや、客観的には悪いところ、全部分かってるんです。もう娘に露骨に受け継がれてますから。怖いです。ウチの娘、クチ悪い悪い。好き嫌いが露骨に態度に出ます。「親の真似するんですってよ!」とか嫌味言われることも多いんですけど、「いいよ。ほっとけ。アンタ以外に最高の笑顔見せるから。」とか思ってるんです。いやーひどい。人間のクズですね。

でもまぁ、どんな子になっても、僕のせいでもあり、本人の問題でもあり。で、どんな子でも、自分の子だから、よそのどんな立派な子より大事なように、自分自身も、どんな腐った外道でも、まぁコレが俺だからなぁと思って、そのまんまやりたいように生きていることが、結局一番ストレスがなく、だから自分を好きでいられるように思いまして。娘がクチ悪いのも、プラスに捉えれば「表現力豊か」ですしね。ひどい親バカですね。

子育ても「こうしたい、ああしたい」なんて、何一つうまくいかないわけで。そんなことは自分自身の人生振り返ったらわかろうものですよね。

「目標」とか、せいぜい「大正池の平均くん越え!」とか、盛り上がれる手近な奴で遊ぶ程度にしておくべきかなと思うんです。何やら立派な目標を持っていることで自分自身が大層なものであるように見せたがる輩がいますけど、一番残念だと思いますね。

そんなわけで、何も目指してない。何にもなりたくない。今が最高。「目標=自分」の志激低の副住職であります。