お説教in奈良
今日はすぐそばのお寺、油阪の西方寺さんの例会の場を借りまして、布教師研修所の研修をさせて頂き、はじめて奈良のお寺でお説教させて頂きました。(自分のお寺はもちろんしています)
ホームグラウンドというか、ご近所なので、気楽かなと思いきや、お説教台に上がると、ものすごい緊張が・・・。
めざとくお仲間に見破られていたのですが、最初のお念仏の時点で手が若干震えておりました・・・。
こういうときは、実はよくありまして、学校でも一学期の最初、はじめてのクラスで若干震えているときもあります。なんというか、元来の肝が小さいと言いますか、ヘタレなんでしょうなぁ。
ですが、ヘタレな自分とも、もう40年付き合っていますので、慣れたもので、
「おうおう、震えとんなぁ」
と、どこか冷静な自分もいまして、震えたからどないやねんというような、どこか割り切ったところもあります。
最初のお十念さえ終われば、あとは野と成れ山と成れ。いつものようにでかい声でまわりを見渡して、落ち着いてできたような気がします。なにより西方寺の婦人会の皆様が暖かい雰囲気を作って頂きましたので、大変助けて頂けました。ありがとうございました。
とはいえ、お説教終了後の反省会では、色々自分では気づかなかったご指摘もたくさんあり、大変勉強になります。いつも大変参考になるご意見をくれる方がおられて、本当に良いところも悪いところも、私にしっかり共感しながらためになるご意見を下さるので、本当にありがたいです。その方は、私より年下なのですが、そんなことを意識したこともない、立派なお坊さんです。
お説教の勉強をはじめて、まる2年くらいになります。台本といいますか、ひらたく言えばネタも少しずつたまってきたのですが、そろそろ、本格的なというか、宗門の教えの根本に関わるところのお説教を作り上げなければならないなと思っています。正直ちょっと面白く聞いてもらうようにするのは難しいところなのですが、そこを避けてはやはり背骨がないような気がします。背骨ができてもまだまだそこにどんどん筋肉をつけていかねばならないのですけれど、いわゆる三心というところ、これをまとめて体系的に論じられるように、しなければならんなと。それさえできれば、それらを一つずつに分けて短いお説教にすることもできますし、そのときどきのテーマに関わらせることもできるかなと思っています。結局どこまでいっても、浄土宗は三心なのかなと、浅はかなりに思ったりしています。あまりお説教でロジックを前面に出すのはよくないのですが、少なくとも自分の中に明確なロジックができていないと、自信をもって話せませんので、この一年は、寝ても覚めても三心かなぁ、なんて思ったりしています。