仕事と消費
以前、ある服のお店のご主人と話す機会がありました。
「こんなマニアックな服、そんなに買う人いるの?しかも奈良で?」
と、失礼ながら聞いてみたところ、
「ただただ儲けるなら、ネットで売れば、ちゃんと捌けるんですよね。でも、そんなことしたくて店持ったわけじゃないし。」
すごく実感こもってましたね。
お店はしたことないですけど、わかる気がします。
お店って、ある意味、自分の趣味全開の部分があって、自分の部屋に人を招き入れるようなところ、ある気がするんですよね。
そして自分の趣味を認めれくれる人と、好きなモノの話をして、自分がいいと思ったものを、いいと思ってもらってお金をもらって。そのお金でもっといいものを集める。ある意味売れてほしいけど、売れてほしくないみたいな。コレクション的要素。
でも、それじゃあ、儲からないわけで。
だから、売れるものを売る。売れるように、売る。
売ることが主目的になってしまうと、しかし、本質は失われる気がします。
たとえばラーメン屋さんって、最初は「おいしいラーメンを食べてほしい!」って始めると思うんですが、だんだん支店を出して、チェーン化していくと、社長の仕事はたぶん限りなく不動産業に近い感じになってしまうと思うんです。ラーメンは工場でスープを作って、流通させる。接客や調理をマニュアル化する。あとは出店する場所を選んでお金を借りるのがメインの仕事になってしまう。もう、ラーメンなんて作ってられないわけです。
車で国道沿いを走ると、そうやって不動産業がメインになったお店がずらっと並んでます。どこにでもあるチェーン店がひたすら道路沿いに続く。地域で若干違いはあっても、基本的には日本中同じようなラーメン屋や牛丼屋やファミリーレストランや回転ずしがあって、どこにでもあるスーパーやコンビニがあって。日本中同じ。美味しかったり、便利だったりするんですけど、日本中同じ。
同じであることは、便利で、外れがなくて、安全で、良いことでもあるのですが、結局は自分の街が平均化していくことに他ならない。
あのコーヒーショップが我が町に!都会の仲間入りや!
でも、それって、どこにでもあるモノが街にできただけなんですね。そこの店長はよそから来た人。店長からバイトまで全員本部のマニュアル通り働く。その街で、自分で考えて、自分のやりたいように働く人はそこにはあまりいないわけです。(もちろん、コーヒーショップでも自分で考えて悩みながら、笑顔で接客されているわけですが)
その街の、その街らしさが失われて、日本中が同じような街になって。新しいものがどんどん入れ替わる東京にどんどん人が集まっていく。ずっと続いていくことになんの価値も見出されず、食べ物も服も街も人も、ただただ消費されていくだけの社会。
こんなはずじゃなかったはず、と言いながら、誰もがこういう社会に、慣れていきながら。
でも、そうじゃないんだ。俺のやり方はこうだ!と、「自分の仕事」の部分を大事にしていく社会であってほしいですし、どんくさくても、自分がそうありたいな、なんて。
今日は思っていました。