生老病死
真田丸のストーリーがどんどん進んで参りまして、豊臣家が崩壊への坂道を転げ落ちていくようです。
真田家が主人公なのに、完全に豊臣ストーリー。織田信長をあっさり扱っていたおかげで、豊臣家へ見事にスポットライトが当たっています。
今回は秀吉の「老い」が執拗なまでに描かれておりました。
まことに老いというのは苦しいものです。
「美しく年を取る」
なんて、きれいごとを言っても、「老い」とは詰まる所、ああいった苦しみに満ちたもの。
生涯かけて手に入れてきたあらゆるものが、櫛の歯が抜けるように失われていく。手からこぼれ落ちていく。そんな自分の手すらも落ちていくような、自分が自分でなくなっていく喪失感。
私は目の前で、大事なもの、夢見ていたものが失われて、どんどん気力を失って亡くなっていく人を、見てきました。まことに人は心から老いていくこともあり、身体によって心が蝕まれることもある。どんな苦境でも生きる気力を失わない人。素晴らしいと思います。ただ、テレビに映っている姿が全てではない。誰もがほんとうのところは、今日の秀吉のように、見苦しく、みじめで、「死にたくない」と言いながら死に怯えて老いさらばえて生きねばならない。
当たり前のことですが、それは先のことだと思っている。思っていたい。そうでないと生きていけない。
しかし人は必ず老いて、必ず死ぬ。
そんなあたりまえのことを、毎回のドラマで見せつけられる。単なる歴史ドラマではなく、人間の「運命」を見せられているようで、毎回気が重くなります。大事なものがない人生もつらいですが、大事なものが失われるのもやはりつらい。そして大事なものがあろうがなかろうが、まったく無関係に、人は死ぬ。
豊臣家に忍び寄る「生老病死」の四苦の禍々しさに、毎回恐れおののく、修業の足りない副住職であります。