慈眼寺 副住職ブログ

10年

先日、10年前に担任していた生徒たちが家に遊びにきました。
10年前に中1だった子どもの多くが、来年には就職という年です。ビックリです。
なかには結婚、出産まで控えている子もいるのですから、時の流れに気が遠くなります。

お寺なので住所が分かりやすくて、なんとなく訪ねやすいのだと思いますが、それにしても毎年毎年、よく来てくれます。わざわざ来るのだから、何か悩んでるのかなと心配したりするのですが、実際には最初から最後までたいした相談もなく笑って帰っていく子ばかり。

「なんで来たん???」

と思いつつ、

「またおいで」

と手を振っています。
なんか本人たちはそれなりに大きくなっているつもりみたいなんですが、こっちから見るといつまで経っても子供。こういう感覚って、不思議ですね。

そういえば、彼らは日々のどうでもいいような私の言動を、びっくりするくらい細かく覚えていて、「褒められてうれしかった」「こんなことがあった」と色々言ってくれるのですが、本人の私は全然覚えていません。でも、状況まで細かく聞くと、「ああ、そんなことあったなぁ!」なんて急に鮮やかに記憶が甦ることも。

たとえば小テストまえに「みんな座れ!」と指示しているときに、一人が立ち上がってつかつか歩いた。みんなが「えっ?」と思ったときに、その子がゴミを拾って、ゴミ箱に捨てたのを見て、私は「ありがとう」って言ったらしいのです。言われた子はすごく記憶に残っているそうです。

それと、掃除のあとに床にペンが落ちていた。女の子がそれを拾って、「これ、誰のー?」と聞いてけど、誰も知らない。するとその子はそのペンをそのまま床に落として帰ろうとする。それを見た私は少し怒って、

「途中まではすごくいいことをしたのに、あとがもったいない。ぞっとした。」

と言ったとか。いいことしたのに「ぞっとした」とか言われて、その女の子もかわいそうですね(笑)
誰のか分からないけど、絶対誰かのものなんだから、机の上に置くとか、私に渡すとかしてくれたらと思ったのですが、「誰のでもないなら、元の所に捨てちゃえ」という発想が、あまりに私にとっては異質で、びっくりしたことをまざまざと思い出しました。言われなかったら忘れていたかもしれません。ただ、生徒の方は「なんで怒ってんのあの人?」って感じの子の方が多くて、それもびっくりしたような記憶があります。

しかしまぁ、勉強ばっかりの学校だったのですが、だれ一人私の授業の内容は思い出さずに、変なことばかり覚えているものです。

「何で怒るのか、怒るポイントがナゾな先生」

と担任した子が口をそろえて言う迷惑な担任だったと思います。悪いことをしました。まぁ、一生懸命だったのは間違いないですねぇ。

とはいえ、自分の想像以上に、生徒に印象を与えたりする先生という仕事。何一つ思い通りにはならないのですが、責任は重大だなと改めて怖いような、とか言っても他にやりようもないしなぁ、なんて思ったりした、副住職というより、元担任でした。