出家
世間では、にわかに「出家」という言葉がクローズアップされているようです。
おまけにどこの何の評論家かよくわからないですが、とにかく何でも一言いうのが仕事みたいな人が、こんなことまで付け加えて。
「出家するのは自由だが、仕事に穴をあけてはいけない。迷惑がかかる。」
いやいやいやいや。
その話題の「出家」とやらがホンモノかどうか、という議論は置いておきます。
それは、その人の心の中の問題ですから。
しかしですね。
出家というのは、つまりは「出世間」ということです。世間との繋がりを絶つ。手始めに一番大事な家族との絆も絶つ。
その点で言えば、出家とは、そのものズバリ、本質的に世間からフェードアウトする、という形でご迷惑をおかけする行為なのです。身辺整理して迷惑がかからないようにする必要などないのです。思い立ったらやればいいのです。今でしょ!JUST DO IT!
元祖出家のお釈迦さまなんて、王子様で、妻も子もいるのに、ぜーーーんぶ捨てて、出家したわけです。ひどいですよあの人。
迷惑という点ではもう並外れてるわけです。
なんでそんなことをするかというと、ズバリ悟るため。解脱するため。
そうすると、今まで大事だったことが、大事ではなくなる。
父母が大事だと思っていたけど、おじいちゃんもおばあちゃんも、ひいおじいちゃんもひいおばあちゃんも、その前のご先祖も、その前の前のご先祖も、その前の前の前の・・・ご先祖もぜーーんぶ同じくらい大事だとわかる。親友だけが大事だと思っていたが、友達の友達も、友達の友達の友達も、通りすがりの人も、会ったこともない人も、違う国の人も、同じくらい大事だったと、わかる。そして、「自分自身」だと思い込んでいたものが、全然自分自身ではなく、他人だと思っていたものが、自分自身であり、人でないモノまで、自分だと分かる。生きていることも死んでいることも、同じだとわかる。
これが解脱です。
そのための出家です。出世間です。
仕事をキリよく終わらさせてやるような類のことではないですし、逆に仕事が嫌だから逃げる先にされても困るわけです。
ラディカルなんです。
常軌を逸してラディカルなんです。そこがどうも、「世間」の人は了見が狭い。
ですが、そんなラディカル過ぎる解脱を、「出家せんでもいけるで!」というのが大乗仏教です。専門家に任せなくてもOK!自宅で簡単に悟れる!解脱のDIY!いや~日本人でよかったなぁ~。