慈眼寺 副住職ブログ

手紙

先日、一通の手紙が来ました。

以前授業を担当した子が、遠いところの大学に合格し、下宿先に向かうフェリーの中で書いた手紙でした。
美しい字で、大変丁寧な言葉で書かれた合格の報告と、感謝の言葉が書かれていました。

私は、この子の感謝に値することを、本当にしたのだろうか。

そんなことを思いました。
思えばこの子を担当したのは彼女が中学3年のとき、反抗期真っ只中の彼女が不貞腐れた態度をとって注意を聞かず、何度も私に言い返してきたことがあります。部活と勉強の両立が大変でイライラしているんだろうなと大目に見てきた私も、さすがにたまりかね、あと一回言い返して来たらちょっともうほっとけないな、と腹をくくりました。この時期の女の子は一度叱りつけると、下手したらその一年間もう目も合わせてくれなくなる可能性があります。だからといって優しく諭すだけでは、結局その子のためにもならない。クラス全体のためにもならない。その一年間はもう捨てる代わりに、芯のある子なら三年後、四年後には必ず帰ってきます。

よし、仕方ない。やってやるか。

そう思った瞬間、不貞腐れた彼女が矛をおさめ、クラス全体が「ホッ」としたのをおぼえています。もちろん私が一番ホッとしました(笑)

あとで聞くと、彼女自身もめちゃくちゃ怖かったそうで、引っ込みがつかなくなって困っていたと打ち明けてくれました。

もうそれ以降は模範生のような態度で授業を受け続け、偶然翌年も私の担当でした。しかしその後は担当を外れ、たまにすれ違う彼女が心配で、よく声をかけていました。

がんばれ。がんばれ。

それしか言えない自分が歯がゆかったのですが、彼女にはいつも「がんばれ」と言いました。

「がんばれ」ばかり言うのもよくない、と言いますが、どうなんでしょう。言葉なんて、本当はどうでもいいのかもしれない。気を遣って言った言葉が何にも響かないこともあるし、何気ない言葉が一生残ったりする。

がんばれる子だと思ったし、がんばってほしいし、「がんばる」という言葉が一番似合う子だと思ったので。

彼女は結局頑張って、遠いけれど、目的意識のハッキリした研究室を選んで合格しました。なんとなく偏差値で選んで、受かるところに行くのではないと思っています。そして、新しい夢に向かって不安と期待で胸をいっぱいにしながら、フェリーの中で私のことを思ってくれた。それは教師冥利に尽きるなぁ、と思いました。

がんばってくれるのでしょう。

きっと私なんかに言われなくても、どこでもきっとがんばってくれると信じています。

がんばれ。がんばれ。

楽な道なんかどこにもないんですから。人間は生まれてから死ぬまでずっとがんばるんですよね。逃げてもいいんですよ。逃げるときも頑張って逃げないといけない。

人に言いながら、結局自分に言ってたんでしょうね。

がんばれ。がんばれ。

俺もがんばれ。