お説教
本日は、長岡京市友岡の如円寺さんにお出かけして、布教師練習会に参加させていただきました。
こちらの住職さまは私が加行を受けたときの行監督でもあった方で、こちらでお説教させていただくのは三回目。
15分の持ち時間ですが、今までとはまた違うテーマでお話させていただきました。
今日も聴衆のみなさまが大変優しく、話しやすい環境を作ってくださり、非常に励みになる実演でした。ありがとうございます。
今までと違うテーマ、いわゆる新ネタではあるんですが、結局は私のことですから、最終的にはいつもの自分の悩みの問題に収斂していきます。
これは浄土宗とか、他の宗派だとか、仏教だとか、キリスト教だとかいう区別を超えて、「結局人は救われるのか」もっと言えば、「私は救われるのか」という問いかけ、その実感、そしてそもそも「信じる」という行為?状態?そのものへの問いかけということになります。
今回も自分なりの問いをぶつけ、自分なりの、現時点でのとりあえずの答えみたいなものを駆け足で提示させていただきました。
独りよがり、独り相撲、身勝手な独白。
結局私は、どこまでいっても自分の中の問題だけしか見ていないのだなということを見せつけられるような思いでしたが、自分でとことん追い込んだ問いかけだけが、ひとさまの共感なりを得ることができるのではないかという思いもあり、それも含めてお前の独りよがりじゃないかと自分で突っ込みつつ、さらに独りよがりじゃない思想などあり得ないだろなどという開き直りで締めくくるという、いつもの私らしい総括をしながら、車で下道でゆっくり帰ってきました。
お坊さんらしい記事が滅多にないので、たまにお坊さんっぽいことをしたときは、すかさず書いておく、副住職でした。