慈眼寺 副住職ブログ

地蔵盆

今日は慈眼寺の地蔵盆の日、というより全国的に7月24日を挟んだ3日間、地蔵盆の日になりますね。
奈良や京都などではどこかしらのお地蔵さまの前で提灯を吊り、奥様方がご詠歌をあげたり、うちわを仰ぎながら座ってらっしゃる姿を見ることができます。

地蔵菩薩の梵名は「クシティガルバ」。皮肉なことに、私は某宗教団体の事件のときに、ある施設にこの名前を付けられており、それで地蔵との関連を知った始末。何事も勉強ではありますね(汗)。

「クシティ」が「大地」。「ガルバ」が「蔵」。大地に蔵する、ということで「地蔵」と訳したわけですが、「蔵」とは「胎内」とか「子宮」を意味しておりまして、「胎蔵界曼荼羅」の「蔵」も「ガルバ」からの漢訳ですね。大地がありとらゆるものを生み、育てるさまを表しているわけで、それはつまり慈悲の心の象徴でもあるわけです。特に子供の守り神としての性格を持っていて、子安地蔵なんていうのは端的な例になりますね。

お地蔵様の役割というのは、案外大きくて、お釈迦様入滅後、弥勒菩薩が現われるまでの56億7千万年、衆生を救い続けることを担当しています。仏さまの世界で56億年がどう感じられるかはわかりませんが、我々にとってはめちゃくちゃ長い中継ぎのロングリリーフということになりますね。時間的にも長い時間を担当されますが、空間的にもすごい。笠地蔵のお話でもそうですし、京都にはそのものズバリ「六地蔵」という駅までありますが、お地蔵さんは6体あることが多いです。これは地獄から天道までの「六道輪廻」の「六道」をすべて行き来して衆生を救うという地蔵の性格を表しています。つまりはクシティガルバとは時空に偏在し、全てを救う原理、ということになります。

皮肉なもので、ここまで何でもアリですと観念的になってしまいがち。しかしここからの地蔵さまが面白いところで、元祖インドの性格を勝手に中国、日本でそれぞれ付け足しまして、本国とは全然違うものになってしまっています。インドのお経を漢訳、さらには和訳したものが我々の唱えるお経といわれるものですが、実はそうでないものもあります。これを一般には「偽経」と言います。聞こえは悪いですが、「コレは偽経ですよ!」と胸を張って宣言している「由来のハッキリしている偽経」というものもありまして、お地蔵さまに関しては実はこっちの「偽経」のほうが実は存在感がある。

こうしたお経には、「地蔵」の「あらゆるものを生み育てる」という性格から、子授け、子育て、安産、延命、財産、勝負事、軍事、勉強など、ありとあらゆることにご利益があるという現世利益的な色彩の強いものが多いです。ここに「子供の守り神」という親しみやすい性格があるわけですから、このマルチな仏さまが民間に広く広く、そして身近に信仰されていった理由がここにあります。

さらにここからお地蔵さまがやっかい、といっては失礼かもしれませんが、閻魔大王とのかかわりがでてきます。

地獄の賽の河原で子供を助けるお地蔵さまと、極悪人を裁く地獄のエンマさま。実はこの二つの存在は同じである、という考え方が、日本で出てきます。このへんの経緯はややこしくて、インドのヤマという神が、中国で道教と混交し、さらに日本で地蔵菩薩と本地垂迹説と末法思想で混交していきます。現世利益と死後の世界という、一見相反するもの両方の要求に応える存在として、閻魔と地蔵が同一視されていきます。このへん、意外なようで、日本人はこのフォーマットが大好き。遠山の金さんでも、水戸黄門でも、遊び人風の気軽な人が、実は偉い人というオチ、大好き。地蔵菩薩が様々な世界を移動し、つぶさに見てきた個人の一生を、今度は地獄の王として裁く役目を担うという二重性がそこにあるわけです。

この閻魔大王と、十王信仰というのは、本来道教の世界の話が日本人の民間信仰の部分と結びついてできた部分でもあり、実は仏教の各宗派の本来の教えと照らし合わせると、結構困るところでもありますので今日はこのへんで逃げます。

そんなこんなで地蔵盆。

子供の日でもあるのですが、残念ながらどこのお地蔵さまも、少子化、過疎化とか核家族化とか、世代間で習俗の断絶があったり、毎度毎度の日本の事情でどんどん廃れています。おそらく、10年後は地蔵盆半減以下になるかと思われます。冗談抜きです。なにせ「誰もお守りする人がいないから預かって」というお地蔵さまを預かっているうち、慈眼寺の地蔵堂はもういっぱいであります。昔はうちでも母親が一生懸命になって近所の子供を集め、郡山から金魚を買って、金魚すくいなんか手作りでやってました。針金を母方の祖父と曲げて、紙を張って。ですが「町内会」「子供会」というのが成立しなくなっている昨今、「そもそも町内に子供がない」という事情で一端やめてしまいますと、たちまち「町内に誰が住んでいるかも知らない」という事態になります。自治会、町内会の存在意義なんかも問われてきます。現代的な組織に変えないと、10年持たないと思いますね。いまどき回覧板とかまわしてるの、限界ですよね。

そんな昨今ですが、慈眼寺の檀信徒の奥様がある日、「お地蔵さまの前掛けなどをまとめて手作りで新調させてくれないか」という、たいへんありがたいお申し出をしてくださいました。本当にいまどきには滅多に聞けないお言葉です。ありがとうございます。ありがたく飾らせて頂きました。

慈眼寺本堂内にもお地蔵さまはおられます。

本堂に向かって左。こちら側はほとんど注目される方もいないのですが、実は平安時代藤原期の作。・・・なのですが、残念ながら顔の部分だけ鎌倉時代に補修されていまして、これがなければ県なり市なりの指定は受けられるであろうところ。写真でも顔の部分だけ新しいのが分かりますよね。

ちなみにプロに撮ってもらったらこんな写真に。

やっぱりプロってすごいですね。

夜は、娘が通わせて頂いているいさがわ幼稚園の地蔵盆に。
よく間違えられる、というか、私も入るまで間違えてたんですが、いさがわ幼稚園は率川神社の幼稚園、ではなく!伝香寺さんの幼稚園なんですね。「いさがわ」は地名なんですね。一本入ると「いさがわ」と書いたすごく小さい橋がありますからね。

で、こちらのお地蔵様が「裸地蔵」とも呼ばれる面白い(interestingな、という意味で)仏さまでして、裸形のお地蔵様に法要のたびに色々な着物を着せ替える着せ替え式地蔵菩薩。すごい。今日は赤い衣を着てらっしゃいましたね。このタイプの着せ替え式は鎌倉時代にはわりと流行したそうです。浄土宗でも法然さんの像に白い布を巻きますが、あれは領帽と呼んだりします。

今回はじめてお地蔵さまにお参りさせていただきましたが、綺麗なお顔で、お召し物がよく似合う美しい仏様でした。お坊さんの先生がおられるのですが、僕がお坊さんとか絶対知らないと思って普通に娘と本堂に上がらせてもらうと、

「じゃあ、この粉を手にとって、お焼香してね。いつもお父さんがしてると思うけど。

知ってたー。

と、内心焦っていました。作務衣とかで送り迎えしないでばれないように努力してたのに・・・。2学期から作務衣だな!

しかしさすが幼稚園。ここの地蔵盆はたくさんの子供が集まって楽しそうにゲームやら盆踊りやらをしておりました。盆踊りなんか、一生やらないお子さんも多いでしょうけど、昔はどこそこの広場でどんどんパンパンやってましたからね~。懐かしいなぁ。

とにかく今日は地蔵盆一色の日でした。みなさんが健やかにお過ごしになられますように。