「退屈」という概念
娘が4歳になりますが、どうやら今年「退屈」を覚えたらしいのです。
幼稚園に通い出してそういう言葉を学んだのか、はたまたテレビか。家で何もすることがないと「たいくつ!」と言うようになりました。私も幼稚園のときに、近所の幼馴染の家で畳みで寝転がって「たいくつ!」と言っていたのですが、それより1年ほど早い気がします。やはり女の子は成長が早い。
「退屈」というのは、状態ではあるのですが、なかなか微妙な概念だと思うのです。
基本的には「日常」であり、どこも痛くも痒くもない、どちらかと言えば「快調」な状態であり、かつ刺激がない。何かしたいのに、することがない。そういう状態に「退屈」だと感じるように思います。娘がどのようにして「コレは退屈なのではないか」と認識したのか、確かめる術はありませんが、すごく興味があります。
そんなとき、こんなニュースを発見。
https://news.yahoo.co.jp/byline/usuimafumi/20170819-00074710/
全国の「コレでいいのか?夏休み」と悩む親への福音がメインの記事ですが、ついでに書いている「退屈の効用」とも言うべき内容が面白い。
曰く、「子供は退屈な方が成長できる」「退屈は内在的刺激」である。なるほど、退屈とは、自分の中の欲求を見つめ直す時間。「無用の用」ですね。退屈だからこそ自分楽しくする工夫をする。
関連記事でこのようなものもありましたが、(https://style.nikkei.com/article/DGXMZO92554770X01C15A0000000?channel=DF260120166497)退屈できないほどに娯楽がある時代というのは実は非常に「貧しい時代」なのかもしれません。
そう考えると失敗したかなとも思いますが、実は先日、悪魔の機械を購入してしまいました。
アマゾンプライムで、自分だけが特撮ヒーローモノを見ていることの罪悪感がひどくて、Fire TVのスティックを購入してしまいました。アマゾンプライムは月々300円で動画見放題ですが、4980円のスティックを買うだけで、なんとPCからWi-Fiで飛ばしてTVの大画面で見放題。
奥さんに過去のドラマや映画を、というつもりでしたが、子供のアニメが充実し過ぎ!コレはアカン!悪魔のマシーンですよ。延々見られる。怖い。まぁYouTubeよりマシかなという程度。
昔は見たい番組があれば、時間前に食卓で正座して待ってたあの頃。来週が楽しみで仕方なかったあの頃。親の見てるドラマで「大人の世界」を勉強したあの頃。野球中継で延長してビデオ録画失敗したあの頃。「ダイヤルまわして手を止めた~♪」の哀愁があった時代。
そんなものは感傷でしかなく、きっと今の時代でも、電波状態が悪いときの丸いマークとか、のちに「そんなのあったね」みたいな不便さの象徴になるのかもしれませんが。まぁそのうちこれにも「飽きる」のでしょう。人間の欲望は限りありません。私の娘ならなおさらです。
人生というのは退屈との戦いである、なんていうのは使い古された陳腐な言葉ではありますが、実は「退屈」を感じられるのは、落ち着いた日常があってこそ。戦場で逃げ惑う人々に退屈などなく、夏休みの畳の上でゴロゴロ転がっているときに感じられる、つまりそれって「幸せ」なんだよね、っていうのも、「退屈」との大事な付き合い方なんですよね。きっと。