愛と欲望のボーダーシャツ
皆さんもうお分かりかと思いますが、副住職、歪な人間です。
本来悟りを開いた柔和な存在でなければならないような気もしますが、拙僧悟りとは程遠い、阿弥陀仏におすがりするしかない下品下生の十悪の徒です。自覚はあります。自己顕示欲とルサンチマンの渦の中でもがき苦しむような、恥の多い人生を42年歩んでまいりました。
で、そんな濁った眼で世の中を眺めておりますと、やはりというか、妙に気になるものがあったりします。
少し前までは「サークルクラッシャー」と呼ばれる存在が面白くて、観察したり、論評したり、揶揄したりするのが大好物でした。そんなもの聞いたことのない健全な皆様に愚僧が解説させていただきますと、「サークルクラッシャー」とは、大学のサークルに代表されるような緩い集団の中で、不特定多数の異性の気を引く行為を行い、まわりを振り回し、仲違いさせて、結果的に集団の人間関係を破綻させるような存在です。たとえばオタク系サークルの紅一点。客観的に見れば全然美人ではないのに、妙にブリブリして男性へのボディタッチが多く、多くのモテない男子を勘違いさせて悩ませる女子。こういうのをニヤニヤ遠目から見るのが楽しい。それで崩壊する集団の諸行無常を見るのがなかなか感慨深い。
この「全然美人ではない」というのがキモで、スクールカースト上位の派手な集団では勝負できないため、ワンランクもツーランクも落とした集団でアナタハンの女王のごとく振舞う姿に、「牛後よりも鶏口」スピリット全開の人間の浅ましい業をずっと見ていたいような、見たくないような、怖いもの見たさの魅力を感じずにはいられませんでした。
この現象、何も大学のサークルの中だけでなく、自転車や釣りなどのマイナー趣味の世界ではほぼ確実に生態を確認できますし、ネットの世界でもよく見られます。最近はウェブ上の仮想空間のみでの付き合いも多いですから、経歴など詐称して王様、女王様を気取る姿も星の数ほど見られ、あまりに普遍的になって「一億総クラッシャー」のような体をなしており、拙僧辟易気味で、最近はクラッシャーへの情熱が失せておるのが現状であります。
では最近気になっているのは何か。
それが「ボーダーシャツ旦那」であります。
こういうカッコの旦那さま、最近よく見ません?
ビ〇ョップとかオシャレなカフェなどで抱っこひもで子供を抱きながら、優しい目をして奥様を見つめるボーダーシャツの旦那様・・・。素敵!
・・・と、いうのが世間一般の感想なのかもしれませんが、歪んだミスタールサンチマンには、なぜか違和感が。この違和感の正体を日々悶々として考えながら、でも確実に心の中で揺るぎない思いが形を成すのでありました。
「あのボーダーシャツだけは絶対着ない。着たら、俺の中で何かが終わる。」
理屈は分かりませんが、何かが私にそう告げます。
いかにも爽やか、いかにもシンプル、いかにも気取らない。
だが、そこがひっかかる。
夫婦で一緒に並んでペアで着たりなんかして、あらやだ素敵。チャーミーグリーン?(古ッ!)
そこがすごくひっかかる。
だいたいこういうの、女性メインの服屋さんの端っこに、申し訳程度にあるメンズコーナーにあるんですよ。
「奥さんの買い物についてくる。オシャレな旦那さま」目当てに〇ーシバルのシャツとか置いてるわけです。奥様がこういうのを旦那さまに着てほしいということなのでしょうか?
それとも、
「お前らは変なこだわりなんか持つな。安くてシンプルで着回しの効くこういうのを着て、私のリア充ぶりをアピールするアイテムと化せ」
という無言の圧力なのでしょうか。
よき夫、よき父で、カネがかからず、それでいてこざっぱりとしてちょうどいい程度にオシャレでいてほしい。
そんな「インスタ映え」する夫像を要求されているようで、怖い。
ときどき亭主関白で、妻に露出の少ない服を着るよう強要する方がいます。これは男性雑誌の表紙に露出の多い女性の写真を好む男性の欲望が、独占欲という形で噴き出した、欲望だと思います。つまり、ベクトルは逆ですが同根の欲望のポジとネガの関係にあると。
メラニア夫人がトランプの言いなりの人形のような人生だとフェミニズム陣営から攻撃されますが、長年抑圧されてきた女性の支配欲の新たな形の発露(逆襲)がここに表れているのではないかと思います。
なので、こんな光景を見ると、思わず
「ひいいいいいい!」と叫びだしたくなるような感覚に苛まれます。
ハッキリ言います。
私、病んでますね。
このような感じ方をすること自体が、まさしく私の中のファロセントリズムの存在を否が応でも暴露するわけです。
いや、実際こんなナヨナヨした男性によくもまあこんなマチズムが潜んでいるものだなと思うほどに、私の中には抜きがたく、古い意識が存在しています。もはやそれは脅迫観念と言ってもいい。
前にもチラッとここで書いたのですが、私、もはや生きた化石のようになったフロイト学派の心理カウンセラーの方と話したとき、戯れにそこにあった箱庭で箱庭療法を試しにやってみたところ、カウンセラーさんが二人して、
「コレ、写真に撮っていいですか?(笑)」
と大笑いしたのです。
診断結果は
「教科書に載せたいほどのオイディプス・コンプレックスの見本」
選んだ動物や建物などのすべてが男根を象徴するアイテムで、中には男根を象徴するアイテムの上に男根を象徴するアイテムを重ねたタワーマンションとも言うべきものまで。
オイディプス・コンプレックスとは、息子が母親を愛し、父を憎む感情。端的にはそれは去勢への恐怖という形で顕在化すると言います。つまり、母親を奪うためには、絶対的な存在である父に「大人」として対峙する必要があるが、それは父から去勢されるかもしれないという去勢不安を生む。かといって、いつまでも「子供」のままでいることは、自分の性の否定であり、「去勢された」状態と感じられる。このように父と対峙しても父に服従しても去勢の強迫観念が出てくるというにっちもさっちもいかない状態がオイディプス・コンプレックスであります。
実は私はこの先の話を知らなかったのですが、このコンプレックスの解消は、子供が両親から離れ、独立していくことで去勢の強迫観念から解き放たれるとありました。
そのとき30代の私の診断は「オイディプス・コンプレックス真っ只中。いまどき、こんな明確な形で“イエ”を守る意識が強い人は初めて見た。何か伝統芸能のお家に生まれた方ですか?」と何も素性を明かしていないのに指摘されて苦笑い。お坊さんですと答えると「なるほど!」とまたひとしきり笑われる結果になりました。
要は、「30過ぎてマザコンの親離れできてないボンボン」とあけすけに暴露されたわけでして、もう泣きたい!笑ろてや。せめて笑ろてや!わろてんか(´;ω;`)フロイト学派、最低!
まぁフロイトって何を聞いても「ああ、それは男根ですね。」「あ、それはあなたの性欲が強いからです。」ばっかりのアブナイ理論ですのでそんなフィルターを通して見たら当然そうなるわけですが。
で、そんなことも最近は忘れていたのですが、今日、ボーダーシャツの写真を見ていて「ひいいいいい!」とか書いてる自分が、さすがにちょっと病んでいるのではないかと思ったとき、ハッ!と今の話を思い出したわけです。
つまり、まだ継続中…?
しかもバスクシャツに明確に去勢への恐怖を感じているふしが文章を見返すとありあり。今日のブログは完全に箱庭療法。今日もフロイト大喜びのファロセントリズム界のあべのハルカスみたいな男じゃないですか!最低!もう42歳!お母さんももういないのに!もはやこうなるとコンプレックスではなく、そんな人!
そう考えると、ボーダーのバスクシャツをディスったのは単なる私の理論武装で、その下には浅ましい欲望があるだけ。こういう服へのアンチテーゼとして敢えて女性ウケの甚だ悪いツイードジャケットとか、レーパンとかコスプレみたいな服装を好んでいたのはそういうわけか。
ほんとうに今日はノープランでボーダーシャツを旦那に着せる世の中の風潮をディスってやろうと思ったのですが、結果自分の中の病んでる部分を晒しただけ。見事なクロスカウンターを喰らってしまいましたとさ。日本全国のボーダーシャツ大好きな男女の皆様、大変失礼いたしました。悪いのはすべて私。トホホ。
生き恥を晒す修羅の道を歩む副住職の明日は、どっちだ。