慈眼寺 副住職ブログ

還りたくない

恥ずかしいです。

え?何が?

生きていること。ここまで生きてきたことが、です。

いや、だから死にたいわけでは全くないのです。むしろ逆です。

いいのか悪いのか。私は引っ越しができません。いや、その気になれば引っ越して「職場」に通うこともできるかもしれませんが、まぁ経済的ではない。そして何より、よほど死ぬほど嫌にならない限り、「本職」の方は辞められない。あ、お坊さんのことです。

と、いうわけで、自意識過剰かもしれませんが、自分はこの慈眼寺という場所に縛られた、地縛霊のような存在だと思っています。

外を歩けば「あ、慈眼寺の息子が・・・」と思われると思っています。ほとんどの場合は杞憂なんですが、結構な確率でそうでもない。見られたくないときに限って、「あ、慈眼寺の」と思われていたりして、なかなか好きにできないものです。

そんなん言うて、好きなことやっとるやないか!と言われれば確かにそうなんですが、そこに一抹のうしろめたさがつきまといます。

「昼間から自転車乗りやがってと思われないだろうか」

なんてビクビクしております。

そう考えてみると、私の生きてきたすべての場面を振り返り、そしてその気になればそのときの同僚やクラスメートやらが「ここのお坊さん、昔は・・・」って思うワケです。コレがもう最悪。

私の人生、たぶん小学校3年くらいからどんどん恥ずかしくなっていきまして、中学が最低。高校大学でリハビリを繰り返すも、大変まわりにご迷惑をおかけして、そこからようやく少しずつ社会復帰。いやホント、恐ろしいことに、たぶん今、毎年、どんどん良くなってると思うんです。驚くべきことに、現状が一番まとも!毎年自己ベスト更新です。

振り返って「あの頃の方がよかった」と思う自分自身の要素が全くない。

ですので、「暗黒時代」を知る昔の級友なんぞに声をかけられたら、一目散に逃げたくなります。

昔のクラスメートが慈眼寺ブログに「いいね!」なんてしようものなら、

「お前の過去の罪を覚えているぞ・・・。笑っているぞ・・・。」

と、脅迫されているような気持になります。いや、ありがたいんですが。

青春時代が夢なんてあとからほのぼの思ったことがない。

今思い返して胸にトゲ刺すことばかりであります。現在進行形。

いやー還りたくない。あの頃に全然還りたくない。いいことなんてまるでない。今が一番。今が一番。

そう、思いながら、毎日暮らしています。

 

私に顔がそっくりな娘も、こんなふうに生きていくのか。そうでなければいいな。
一日中調子に乗りまくる娘をどやしつけながら、

「乗れるうちに好きなだけ乗っとけ」

とも思う私であります。

あ、だからアカンかったのか。