慈眼寺 副住職ブログ

最後の審判?

ちょっと最近忙しかった中、ぽっかり昼が空いた日。
おまけに外は雨。

こんなときにこそやっておきたいことがッ!

たまには映画くらい見たい!

何を見るかと言いますと・・・

 

 

 

「仮面ライダーアマゾンズ the MOVIE 最後の審判」

 

オタクかよーという声をよそに、ギリギリのスケジュールでご飯も食べずに出発。
上映期間が異常に短いのと、上映してる映画館がこれまた異常に少なく、仕方なくなんばにGO!

ずっとウォッチしていたアマゾンズ。ここでも散々語りました。

エピソード1の衝撃がすごかったですが、2もまた違った感じでよかった。グロかったけど。

あの物語をどうまとめるのか。

いよいよ二人の対決に決着が・・・?

「最後の審判」という、ちょっとありがちなタイトルに嫌な予感を抱きつつ、ネタバレレビューなどは極力避けて予備知識ほぼなしで行きました。

以下、ネタバレありありのレビューです・・・。

結論:

 

これで終わりだとしたら晩節を汚したし、続くとしたら、いいコマを無駄遣いしたなぁ、と。

 

あの仁さんの退場がこんな形で終わるのかとガッカリ。
明確に死んだ描写もないので(アマゾンは死んだらドロドロになるはず)、もしかしたら「実は生きてた」系とか「生かされてしまった」系もあるでしょうけど、どっちにしろ、じゃあこんな映画要らんやんという。

とにかくお金がかかってないんですよねぇ。コレ、全然映画らしさがないという。劇場で見る必然性が全然ない。

本当の大上段のラスト、完結編を期待したら、コレは本当に不完全燃焼。

そもそも日本人って、ストーリーをちゃんと終わらせたい欲望が強い傾向があると思うんです。アメコミみたいに延々とスピンオフしていくようなのとは対照的です。あっちは「ノリのいい楽しい映画を延々と見ていたい」という欲求にすごく正直ですが、日本はやたらとストイックにしたがる。そのくせ風呂敷を畳むのが苦手なので、キレの悪い「ラスト」を延々とつづける。完結編その一、その二・・・みたいな。そんで最後は尻すぼみ。それが嫌なら唐突に無理矢理終わらせる。実に「終わりが下手な人種」だと思われます。

アマゾンズに関して言えばエピソード1が二人の戦い、2で千翼とイユの物語を絡めたアマゾンの因果を描き、いよいよラスト!と来たんですから、もうはじめから終わりまでとことん二人が血みどろの戦いをやったらいいんですよ。もしくは今まで明かされなかった新たな真実が明らかになるとか。

それなのに唐突に全然違う話を持ってきて、見知らぬキャラが今さら出てきて・・・。ケイゾクやSPECの劇場版のような嫌な予感がしたのですが、超的中。最初から最後まで本編やりゃあいいのに。そんなにフィギュア売りたい?売れる?ネオアルファ?

そもそも仁さんがなぜアマゾン細胞を創ったのかとか、どうやって創ったのかとか、天条じいさんをからめていくらでもグロい因果話作れそうじゃないかと。もしくは水沢のかーちゃんがどうやって悠創ったのかとかでも同じように話作れますよね。

そうやってもう一度肉付けした二人の因縁を絡めて、血みどろでガンダムVSジオングの生身版みたいなスプラッタで獣くさいバトルを延々続けたらそれは感動的ですよね。

そもそも、仁さんが死ぬなら、エピソード2のラストで死ぬのが一番綺麗だったはずなんです。最愛の人と自分の実の子供を手にかけてしまっているわけですから。業の深さがマックスのあの状態で死なずにきたんだから、さぁすごい花道用意してくれよ!って思ったのに、結局七羽さん出てくるだもん。だったら2のときでいいじゃないかと。家畜アマゾンの話要らないじゃないのと。

製作側の意図を汲んでみると、たぶんアマゾンズの「原点回帰」なんでしょう。「食うか食われるかの生存競争」というテーマに戻りたかったわけでしょう。そこで畜産アマゾンの「自己犠牲」という本能に反した生き方や、我々が牛や馬を食べるという行為が覆い隠している残酷さを、擬人化してあらわしたかったのでしょう。

でもそれはテレビの1エピソードとかで済む、いわば「スピンオフ」ですよねぇ。「最後の審判」ってすべての終わりですから。ちょっと名前負けしてるというか・・・。

まぁその「審判」の内容というのが、結局「生きるために生きたものが残る」という天条の言葉ということなのでしょうけど、これだけ長いこと紡いできた話の結論、それだけ?みたいな。

仁さんが最愛の人を失ってまでも、まわりのすべてを不幸にしてでもアマゾンを狩り続けた理由が、「自分の責任を取る」という実に人間らしい、倫理的な原理であり、悠が戦い続けた理由が、「目の前の人を救いたい」というこれまた実に倫理的な原理でありました。ある意味では、「仁」と「義」の戦いであった、と言えるのかもしれません。

しかし最後に悠は禁断の肉を食べた。生存本能に忠実に食べた。畜産アマゾンを助けたいという「義」を全うするためのように見えますが、実際には「食べたいから食べた」に過ぎません。その姿は、エピソード2で最愛の人を泣きながら食べたバラアマゾンに重なります。そのへん象徴的なのが悠がレジスター外したシーンです。あのときは「おおお!」って思ったんですが、結局アマゾンネオオメガ→素オメガになっただけ。どうせなら、ドライバーもはずして、ただのトカゲアマゾンとして獣そのものの戦闘とかしてほしかったなぁ。

話を戻すと、結局のところ、エピソード1での「自分でさばいたものを喰う」野生のアマゾンと、与えられた薬を食べ、人間を頑なに食べなかった「養殖」のアマゾンの戦いが、いつしか大事なものをすべて失い、死に場所を探していた仁と、「人間」の最後の境界を越えてしまった悠の戦いとなり、生物としてより不純物の少ない選択をした悠が、その分だけ仁を上回り、勝った。これが「最後の審判」ということなのでしょう。

タイトルが容易にキリスト教を暗示するため、家畜アマゾンが羊の群れであり、それを約束の地に導く悠、という構図も浮かび上がります。ますが、安易だし、不徹底な気がしますね。監督も自覚的だと思いますが、キリストのメタファーとしては、むしろ三崎の方が、「自己犠牲」の象徴であり、顔つきもどことなくキリストっぽい。ですが、それもあくまで暗喩の一要素に過ぎない。すべてのストーリーを引き受けるようなキャラクターにはなりえていません。そういう意味では三崎以外の駆除班は今回完全なる空気。存在する意味はほとんどありませんでした。あれだけ強烈な経験をしたフクがこの扱い。ないぜ、そりゃあ。

結局、繰り返しになりますが、エピソード1、2すべての「業」を引き受けて昇華するまでの「器」が全くできていない。逆に、そんな気はさらさらなかったのなら、「最後の審判」なんていう大層な名前で劇場版を作る必要がない。

 

設定の破綻(?)や説明不足があちこちで見られたのもちょっと。細かいけど。

そもそもアマゾン細胞って、培養されて2年足らずで一気に人間になったのに、やたらと自我や人格や記憶があって、そのへんどうなってんのかなというのはもともとあったのですが、今回も家畜アマゾンたちが「食料」として使われるにしては、効率が悪すぎる。どうやら2のラストで橘局長が言っていた「新しいシグマプロジェクト」というのが今回の畜産化計画のようですが、「えっ?あのタイミングで?しかも別に喫緊の課題でもないのに?」という感じが拭えません。この計画を急ぐ理由って、「もうすぐ劇場版撮らんとアカン」という理由だけでしょうに。
そもそも家畜アマゾンがシグマタイプの応用だとして、なぜ仁さんの細胞が必要なのかちょっと分からない。御堂英之助もネオアルファに変身するということは、アマゾン化しているはずなんですが、仁にも悠にも「人間」として認知されている。そのへんもしっくりこない。おそらくは仁の細胞を利用して一時的に変身しているのかもしれませんが、もうちょっと理屈をスッキリしてほしかった。

橘局長自体も色々と・・・。
あんだけ身体バッキバキに折られて、元気になりすぎじゃないですかね?ぼくはまた、「首から下はシグマタイプ」ってのを予想してて、だから最後黒崎さんに撃たれて、「平気だよ!首から下は人間ではないからねぇ!」ってやってくれるものとばかり・・・。あんなおもしろリアクション要らないから・・・。そもそもアマゾンであれほど痛い目にあったら、アマゾン根絶に執念を燃やすのが普通だと思うんですが・・・。

そして何より!仁さんなんで捕まってんの???時系列的に仁さんを捕らえるチャンスがあるとして、エピソード2のあとボロボロの状態のときにかっさらうしかないんですよねー。それと局長の新しいシグマプロジェクトの開発がほぼ同時に行われなければならないわけで。都合よすぎないですか?御堂英之助がずっと研究していて、あとは仁さんの細胞を手に入れるだけ!の状態で待っていて、手に入ったらすぐ畜産化して・・・。

仁さんの目が見えるようになってたのもちょっと悲劇性が薄れてさみしかったなぁ。治癒能力ってことで全部説明したいんだろうけど、じゃあなんであんな長いこと見えなかったのみたいな。

あれだけアマゾンに鼻の利く二人が家畜アマゾンにノーリアクションだったのもよくわからない。「覚醒前だから分からない」ということなのか。「新型だから」で済ますのか。

こういう細かい粗探しはまぁ野暮ですけど、それを吹っ飛ばすような面白さがなかったから粗が気になるわけで。R指定はなかったですが、精神的にキツイ感じかと言うとそこまででもなく、人でなしみたいですが、僕普通にご飯食べながら見たんですよねこの映画。エピソード2じゃあそうはいかんかったなぁ。プチトマトとか絶対無理!!!

こんな「私を離さないで」そのまんまなパクリ本歌取りエピソードを無理やり入れてなんとか映画用の時間稼ぎました、みたいな。仁さん退場させて「最後感」出しつつ、好評なら続編作れなくもない感じにしとくか!

いやーそういうの、ダメでしょ。

ガッカリしましたよ。

貴重な時間潰して、なんばまで来て、ごはんも我慢してきたのに。

正直、「ダメ出しをしっかりしたい」という目的のためだけに、家畜のように座ってました。

★2つもきついな。仁さんも正直演技乗れてなかったと思いますよ。今までの鬼気迫る感じ、なかったように思います。予算も時間も色々制約あると思いますが、こういう作り方はしてほしくない、してほしくないなぁ。で、どうせすぐアマゾンで配信するんでしょ?俺完全負け組じゃーん。

でもいいよ。負けるときはしっかり負けるのがオタクの流儀やで!