慈眼寺 副住職ブログ

それにつけても俺たちゃなんなの

サッカーにはほぼ興味はないし、W杯もほとんど見てないんですが、「大迫半端ない」の動画は大好きな私です。

https://www.youtube.com/watch?v=pZ2UIYRK5I4

正直、大迫選手の顔は覚えていないんですが、この絶叫する選手の顔を「大迫半端ないの顔」として覚えています。最高ですよね。

この、試合後のロッカールームの感じ、すごく部活っぽくて好きなんですよ。最後全部持ってく先生の「俺、握手してもらった」も含めて、「作品」ですよね。この選手、いまやエリート銀行員みたいですから、そっとしておいてあげてほしいんですが、それなら取り上げるなという話ですか(笑)

まぁ最近、部活も何かと負の側面がクローズアップされてて、確かに良くないところもあるんですけど、こういうところ、人生で他に得られない経験だと思うんですよね。

毎日毎日練習して練習して練習して。一生懸命練習して。

そんで、試合で「バケモノ」に吹っ飛ばされる。

そんでその「バケモノ」も全国ではボコられて、そいつをボコったやつも日本代表にはなれなくって、そこで選ばれた代表も世界でボッコボコにされて。

「どないなっとねん!」というね。

まさに「そんなんできひんやん普通 そんなんできる? 言っといてや」ですよね。この部分も好きなんですよね。

「ボコられた経験」というのは、本当に大事だと思います。結局それが「自己認識」ということになりますから。何をやらせても、残念な人は自己認識が甘い。徹底的に甘い。舐めちゃうんですよね。

舐めるのは罪です。

人間の行為で一番ダメなことだと思いますね。結局それは「愚かである」ということに尽きると思います。

大事なポイントは一生懸命さが足りないってことじゃないでしょうか。
練習してないから、舐めるんですね。すごい人がどのくらいすごいかの、想像ができない。もちろん、私だってオリンピックで優勝する人がどのくらいすごいかなんてわからないのですが、「想像できない」ということが分かっているつもりです。

舐める人はそこを「わかった気」になっちゃんですよね。

わからないことをわかると思う。これを「愚か」というと思うんですよ。

少々体格が立派だったり、腕力があったりすると、「なんとなくそこそこできるだろう」とか思ってしまう。根拠のない自信だから、すぐに折れる。自転車でもおんなじ。「遅さ」というのは、結局筋力の有無や持久力ではなく、大部分は「心が折れてしまう」ことに由来すると思います。心が折れてしまうと、本当に人間は何もできなくなる。

折れない心を持つためにはどうすればいいか。

いっぱい心が折れる経験をすればいいわけです。

逆説的ですが、いっぱい折れた人だけが折れない心を育てていく。「できる」ようになるためには、それだけたくさんの「できなさ」と直面したということでもあります。「練習」ってそういうものです。できないから、練習するんです。できることばかりをやって、心を折らずに過ごしてきたから、簡単に折れてしまって、しかも戻らない。過剰に畏れる。負けて立ち直れない。

「大迫半端ないって!」の人は、負けたばかりなのに、もう自分たちの弱さを受け入れて、前を向いている。しかも相手を褒め称えている。これがスポーツの、努力することの、すばらしさですよね。

正直私なんて情けないですよ。バドミントンやっても、小学生にやられることだってあります。才能って公平ではない。自転車も強烈です。いつも練習してる奥山鉢伏峠のコースで一番速い人、どのくらい速いかというと、仮に一緒にスタートしたとして、僕がつく頃には、どん兵衛にお湯入れて食べ始めてるくらい速い。絶望的ですよね。そんな人でもアマチュアなんですよねー。おしっこちびりますよねー。

「エース」の活躍を眺めながら、「それに比べて俺たちは・・・」と嘆く、情けない、大部分の敗者=私。でもそんなそれぞれの「敗者」にも人生がある。それでも「いつか決めるぜイナズマシュート」ってね。

でも勝者もまた、勝つために気の遠くなるほど練習をして、自分の能力に疑問を投げかけ、他の人は諦めたような細かいチェックをひたすら一人で行い、いわば勝負する前にさんざん一人で負け続けたからこそ、束の間の「勝者」でいられたわけなんですよね。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180623-00027217-theanswer-socc

この記事を読んで改めて思いました。最も臆病で、最も自分の「能力」を疑い、そして最も自分の「可能性」を信じたものが、一番高いところに立つのだな、と。

驕りたかぶった「スーパースター」や「強豪国」が苦戦したり絶望する今回のW杯は、本当に人生の縮図。

キリスト教でも「七つの大罪」の一番最初は、「驕り」。

人生の9割くらいは「負け」の経験ばっかりだと思うので、願わくば、「〇〇半端ないって!」と笑って言える「よい敗者」でいられるように、生きていたいですね。