慈眼寺 副住職ブログ

久しぶりのお説教、の準備

久しぶりにお説教の練習会に行くことになりまして、そろそろ新ネタを考えないと、とここ数日ウンウンうなりながら本を読んでいました。やはり「三心」でお説教できるようにならないと、と思いましたので、三心のうちの一つというところまでは決めたのですが、なかなかいい構成ができず、悩んでました。すると昨日の夜11時くらいすっと頭の中が整理されて、霧が晴れるように三心の論理構成が見えてきた気がして、スッキリしました。やはり長年おぼろげながら感じていたことは間違ってなかったんだなと思ったり。

至誠心、深心、廻向発願心。

すごく大事ではあるんだけれど、でも、「念仏に全部含まれてるんだよ」というところが厄介でもあります。大事なんだけど、「南無阿弥陀仏にて往生するぞと思う内に籠り候なり」という微妙な表現。

「念仏」という行為そのものに至る、含まれる、自己把握と弥陀の本願の関係。そして、一番厄介な廻向発願心。こういう解釈が正しいのかどうかは分かりませんが、至誠心と深心は作用反作用といいますか、表裏一体の関係なんですが、廻向発願心はちょっと性質が違う気がしますね。二つの作用を包摂して昇華するような、弁証法的な運動が見えてしまうのは、西洋思想に毒され過ぎなのか。一方で、「至誠心の内容って、深心と廻向発願心のことだ。この二つを離れて、何が至誠心か」とも書いてあります。三つが一体になっていると、言えば簡単なのですが、どのように一体かなのが問題で・・・。

益体もないようなことを書きましたが、とりあえず、自分の納得したことしか話せないタイプなので、感じたままに話してきまーす。