慈眼寺 副住職ブログ

2019 春彼岸

今年も無事に慈眼寺の春の彼岸会が終わりました。

今年は娘が幼稚園のため、ぼたもちは奥さんと私の二人で作りました。

去年のお彼岸は父が入院しており、心細かったのですが、今年はバッチリいてくれましたので、気が楽でした。

やっぱり「副」の立場は気楽。いつまでも甘えていてはいけないのですが、元気でいてくれるに越したことはないので、まぁこの調子でできるだけ長く父には健在でいてほしいものです。

お説教では「恩」というものは受けているときには気づきにくい、というお話をさせて頂きました。

自転車に乗っていると本当に実感できるのですが、向い風はイヤと言うほど感じるのに、追い風は往々にして「無風」と認識されます。何事もなく漕いでいるときは、実は追い風を受けているのです。なのにそれを「実力」だと勘違いする。そしてほんの少しの向い風にはたいそうに騒ぎ立てる。まことに人いうのは驕りやすく、弱いものだなと思います。

「〇〇家先祖代々」

なんて、一言にいいますが、何十、何百、何千もの人間が、苗字を変えたりしながらかかわって経糸を紡いできたから、今の自分がいます。

自分がふだんは全然意識することもない、気の遠くなるほどの繋がりを感じ、自分のはかなさと関係性の広がりを感じるきっかけとして、お彼岸にお墓参りをしていただけたらな、と思います。それが仏教で一番大事な「縁起」であり、畢竟それは「空」ということなのだと、思います。