慈眼寺 副住職ブログ

絹本当麻曼荼羅 修復完了

2年余もの歳月をかけ、都祁来迎寺に伝わる当麻曼荼羅の修復作業が続けられていました。

思えばうちの住職が都祁来迎寺を兼務させて頂くことが決まったとき、寺宝として伝わっていた市重文の当麻曼荼羅と十王図がありましたが、片方は屋根裏に押し込まれて破損がひどく、もう一方は所在すら知られない状態。庫裏の不要なものを処分していたとき、大工さんが「コレ燃やしていいですか~?」と聞かれて、「もしや・・・」と駆け付けた住職が見たのが、十王図でした。

当麻曼荼羅の方は市文化財課の、特に当寺で生き仏のように崇められている某職員さまの熱心なご尽力と、来迎寺檀信徒の皆さまのお力添えを賜り、数年前に修復事業が始まりました。

気の遠くなるような緻密な作業が続き、ようやく修復が完了し、本日来迎寺檀信徒のみなさまにお披露目するはこびとなりました。

それがこちらであります!(携帯撮影ですいません)

「絹本著色当麻曼荼羅図」であります。

もとの修復前を知っているものとしては信じられない復活ぶり。
修復して頂いた方々のお話を聞きましたが、まさに絹糸のジグソーパズル。完全にお軸から剥離した塊を「これはここの部分」と当てはめていく作業は聞くだけで気が遠くなります。

ドイツドレスデンの大空襲によって倒壊したフラウエンキルヘの復興を「世界最大のジグソーパズル」と呼んでいましたが、ある意味ではそれよりも大変なのではと思う作業です。

鎌倉時代に絹糸に描かれた観無量寿経の世界が色鮮やかに残っています。

マニアにはたまらない一枚。

善導大師坐像と並べられた當麻曼荼羅。ここにこれが伝わったことに大きな意味があります。

善導大師さまが観無量寿経の解釈の一大転換を行われ、下品下生の凡夫が救われる道こそが、散善の行である念仏である、と説かれたことが、宗祖法然上人が念仏の教えを開かれたきっかけであります。

「偏依善導」という言葉を法然上人自身が使われています。たたひとえに善導大師に依って、自分の信仰はある、という意味です。

ともに鎌倉時代作の善導大師坐像と当麻曼荼羅という、浄土宗の真髄をあらわす二つのものが並び立つ瞬間でした。

これが下品下生の図。見えにくいですが、仏像の光背で肉を焼いて食べているような人もいます。十悪の凡夫の姿をあらわしています。そして、そんな者にも弥陀の救いは訪れることがあらわされています。

箱も重要なポイントです。

これは当時の箱の一部を残した形で新造した箱。

恵心僧都御筆 多田満仲公安置佛 源経實公御寄附 永代多田來迎寺霊寳也

とあります。

恵心僧都というのは源信のこと。まぁさすがに源信さんが描いたというのはそのまま信じるわけにはいきませんが、まぁこれは一種のあるあるですね。行基開基とか空海開基とかそのたぐいですね。

ただ、「多田満仲」というのは来迎寺におおいに由来があります。来迎寺は多田家の菩提寺ですので。

細かい部分を見ますと、本当にこの曼荼羅が緻密な絵画であることがよくわかります。

菩薩の衣服の模様は金箔を細かく切って貼りつけてあるそうです。諸菩薩の顔も大変美しい。

阿弥陀様のお顔も大変ふくよかで、理知的で、慈愛にあふれたお姿をしています。光背の色彩も綺麗!

たくさん写真は撮りましたが、このくらいで。

とにかくこれほどの絵画とは、復元してあらためて驚くばかり。今まで見たどの当麻曼荼羅より、手前味噌ですが、素晴らしい気がします。単純に一つ一つの描線の美しさと繊細さが素晴らしい。細部の緻密さと全体の調和が完全にとれている。だからこれだけ書き込まれていてもゴチャゴチャした感じが全くしない。

実物を遮るものもなく鼻の先で見られて本当に幸せでした。副住職の特権ですね。この絵画のすごさはなかなか写真では伝わらないと思います。ほんとうにすばらしい。私は基本仏像派で仏画はあまりな方なのですが、ちょっと宗旨替えしようかしらと思いましたね。

さいごに一つ面白いものを。

コレ、なんだと思います?

ぼやけて分かりにくいですが、弥陀来迎図であります。

なんとこの絵。これもまた絹に描かれた絵なのですが、なんとこの絵、上の当麻曼荼羅が江戸時代くらいに一度修復されたときに使用されていたものなんだそうです。

分かりにくいかと思いますし、浅学な私の理解が間違っている可能性もあるのですが、ご了承を。要は、この曼荼羅が過去に修復されたとき、欠損した部分を同じく絹本の絵画を使用するという技法が採用されたようです。絹糸ですから当然切れたり擦れたりかびたりしていますので、同じく絹の糸を使用したということですね。その場合、新しい絹糸を使用すると、オリジナルの部分と強度に差が出て、うまくいきません。そこで、同じように古い絹糸を使用した絵で補修するというわけです。この弥陀来迎図はそのためにバラバラに切り取られ、糸をほどいて使用したようなのですが、今回の修復にあたり、オリジナルの部分のみを残し、後補の部分を丁寧に除外したところ、どうもこれは同じ絵の部分だな、というわけでそれぞれ断片を繋げていくと、ほぼ完全な弥陀来迎図が出来上がった、と。

別の絵で絵を修復した例はよくあるそうなのですが、一枚の絵がほぼ完全にでてきたのは相当珍しいそうで、しかもそれが弥陀来迎図なのがいいじゃないですか。実に似つかわしい。

似つかわしい、と言えばすべてが似つかわしい。すべてがここにあった意味があるものだと気づきます。

善導大師と当麻曼荼羅。

来迎寺と多田満仲。

さらに伝恵心僧都の当麻曼荼羅と十王図。十王図とは冥界で死者を裁く十人の王の図。あの閻魔さまもその一人です。すなわち極楽と地獄の二つの世界をあらわす絵が揃い、しかもその一方は伝源信筆。そこが興味深いと専門家の先生がおっしゃいまして、実になるほどと膝を打つ気持ちでした。

さる方が「来迎寺は中世で時間が止まっている」とおっしゃったそうです。また、「来迎寺は東山内の高野山です」とも。

その言葉の両方が、この曼荼羅図によって深く重みをもって甦る思いです。

 

ここまで説明させていただきましたが、これほどの修復作業、本当にどれだけの労力が割かれたのかと。実際に修復に携われた方のお話を直接聞く機会も得られましたが、いにしえの技法と、現代の科学の両方のアプローチによって、これほど見事に極楽浄土の世界をありありと蘇らせて頂いて、本当に感謝に堪えません。来迎寺の予算規模では考えられない費用もかかりましたが、関係各所のご協力と、檀信徒様のお力添えでなんとかここまできました。

「正直、ベンツが買えるくらいかかりました(笑)」

とおっしゃった専門家の方がいましたが、ベンツは乗り潰して終わりですが、この曼荼羅は鎌倉時代のものですから!さらにこの鎌倉時代の曼陀羅が、きちんと管理すれば後世に受け継がれ行くのですから!ベンツになんて一生乗れませんが、ホンマ、全然羨ましくないです。全然羨ましくないです。う、羨ましくないですってッ!(怒)

さて、では今後この当麻曼荼羅をいつでも来迎寺で見られるのか?と言いますと、絹本のこれほど古い絵画を温度管理や虫干しを完全にコントロールして後世に伝えるのは、一個人では完全に不可能です。収蔵庫をつくる予算もありません。檀家12軒のお寺ですから。

そこで、今後は奈良国立博物館で保管していただけることになりました。鎌倉時代の名画を、後世まで伝えるためにはこれが最善にして、唯一の方法であると関係者で出した答えです。もう既に国立博物館に収蔵されております。

http://www.city.nara.lg.jp/www/contents/1386657304643/index.html

今後は特別展などでテーマに合致したときに期間限定で展覧されるそうです。(なんといっても絹本というジャンルが常設展示に向かないものだそうです。)

 

 

最後に副住職らしい小噺を。

修復に携わっていただいた、やたらダンディでガタイのいい、お話の上手な方がおられたんですが、帰りにちょこっと

「副住職ブログ、読んでますよ。ぼくも自転車乗ってるんです。ダウンヒル専門ですけど。」

と。なんかバリバリ乗られているごようす。トレック乗りさんなんですって!

ダウンヒルは怖すぎて僕は向いてないんですが、ああいう細かい作業をさんざんして、お休みにとんでもない傾斜をガンガン下りたい気持ち、ちょっとわかる気もします。っていうかソレ、カッコイイなぁ!