のびゆくきもち
娘は今年で6歳。
実は今日まで一度も髪を切ることなく過ごしてきました。(前髪カットと、あと少し整えるだけはしてましたが)
なぜかというと・・・
今を去ること3年前。筆にしてみようかとなんとなく伸ばしていた娘に、何の気なく、
「病気で髪の毛がない女の子に、髪の毛プレゼントしてみようか?」
と娘にヘアドネーションの提案をしてみました。
娘は「するする!」と、おそらくは何にも考えずに即答。
「どうせ気が変わるだろう」
と思い、まぁ、とりあえず伸ばしてから考えよう、と思いました。
すると数日後、幼稚園で思わぬ出来事が。
娘をお迎えにいった奥さんに、幼稚園の先生が近寄ってきて、涙ぐみながらこう言ったそうです。
「娘さんに聞きました!髪の毛を病気のお子さんにあげるんでしょ?そのために伸ばしてたんですねッ!私、感動しました!」
え・・・。
娘がそのまま幼稚園で言いふらしていた模様。
いや、そこまで固い決意とか、ないんですけど・・・。
ひ、引っ込み、つかないじゃん・・・。口だけみたいになるやん・・・。
そんなわけでとりあえずヘアドネーション可能な長さである31cmを目指して、ぜったい髪を切れない流れに。
毎朝おさげのするのが面倒。しかもおさげがだんだん長くなる。お風呂のあとの髪の毛乾かすのが大変。
プールやスポーツではやたら邪魔。ラーメンのスープにおさげの隠し味もしょっちゅう。
そんなこんなで日々は過ぎてゆき。
そしていよいよ断髪式の日を迎えました。
すでに髪の毛は娘のお尻に到達。
マックス43センチ。
「パパさん、ハサミ入れられます?」
と言われたのですが、変な切り方してら嫌なので、「無理無理!」とお断り。
まとめられているのであっさりと髪が切られてゆき。
あっというまに。
切れちゃいました。
娘自身には、まだボランティアとか、そういう意識はほとんどないと思います。
ただ、私としては、いつまでも忘れられない光景があります。
母ががんにかかり、抗がん剤治療をはじめて、髪が抜けました。
抜け始める前に、二人でカツラを買いに行きました。
普段は気丈な母が、はじめて、歩きながら私の手を握ってきました。私が大きくなってからは、はじめてのことだったと思います。
不安だったんだろうなと思います。
あのときの母に、もし娘の髪を渡しても、きっと受け取らなかったと思うんですが、でも、世の中には、娘と同じくらいの女の子で、同じような経験をしている子がきっといる。その子に、うちの子の髪の毛をあげて、喜んでくれたなら、どんなにうれしいだろうか。
そして、私の教え子にも、病気とたたかいながら、手術紺を隠すためにウィッグを使用している女の子がいます。
やはり、子どもには子どもの髪の毛がいいようで、サイズなどの問題で、大人のウィッグは使えないそうです。
もし、自分の娘が、髪の毛が抜けてしまうような状態になったら。
そんなことを考えたら、胸がつぶれるような気持ちがします。
だから、これは誰かを助けるためじゃなくて、胸がつぶれる自分の思いが、すこしでも和らぐように、やっています。
娘自身も、いつか、自分がやったことの意味を考えられるようになって、そのときにもう一度、今度は自分で考えて、人に分け与えられるような人間になってくれれば、と思います。
慈悲、とはサンスクリットのマイトリ―とカルナ―。
慈=マイトリ―とは他人に楽を与えること。
悲=カルナ―とは他人の苦を除くこと。
そういう子になってほしい、と、きっと母は私に願い、私は娘にそれを願って、名付けて、育てました。
母の思いが、どこまでもこの子を守ってくれますように。