慈眼寺 副住職ブログ

„Nacht und Nebel, niemand gleich!“

最近ナチス関係の歴史の授業を行うにあたり、時間的余裕があるので、いくつかの映像作品を使用しようと、いくつかの映画を見てみました。

やはり授業で使うもので、子供も見るという観点でいえば、やはりあんまり長かったり重かったりするのも、ちょっと。かといって、「軽くナチスを扱うってどうよ」という気もして、そのへんのさじ加減難しいなと思っていたところ、同僚に「これがいいよ」と薦められたのが「Life is beatiful」というイタリア映画。

コレがすごいいい映画でした。

自転車趣味のおかげで、一気に自分の中のイタリアという国が大きくなっており、安田さんやズッロさんのおかげで近しいように勝手に思っている今だから、余計によく思えたのかもしれません。

1997年ですので、大学生の時期ですか。なぜ見なかったのかと思う半面、今だからこそ心にぐっと来たところもあり、うん、今でよかったという気もします。

ナチスのユダヤ人収容所の映画なのに、舞台がイタリアというのは意外なのですが、当時はヨーロッパ中からユダヤ人も共産主義者も収容所に送られたので、イタリアでも例外ではない、どころか、同盟国ですので、必然でもあります。

前半は完全なる喜劇。牧歌的ですらあるドタバタラブコメで非常に楽しめます。

「ああ、イタリア人ってこんな感じよね」っていうイメージそのまま。

ところが後半一気に画面が暗くなり、陰鬱な世界に。

しかしその中でも主人公とその家族だけがカラーであるかのように、たった一つの「嘘」で困難に耐えていきます。

後半の悲劇的展開すら、喜劇の彩りがしっかり強く存在し、それは運命に抗う人間の尊厳であるかのようでした。

今でこそよかったと思うのは、やはり子供を守る夫婦の愛という描写や、父のどこまでも明るい底抜けの愛の描写が、子を持つ父には本当に毎回涙腺を刺激します。コレはホンマにきつい。

暗いだけの戦争映画にありがちな重さもなく、お涙頂戴のうっとうしい演出もなく、「家族愛」という普遍的なテーマが戦争という愚かな行為のなかでひと際輝く良作でした。どこか劇中劇のような、書き割りの前の芝居を見ているような不思議な感覚があって、ファンタジーのような後味が残りました。たくさん笑える素敵な映画ですが、悲しい映画でした。

そのあとはアラン・レネの記録映画「夜と霧」。コレが想像の何倍もきつかった。

私、寡聞にして知らなかったのですが、フランクルの「夜と霧」よりこちらの方が古い作品なのですね。もちろん、もとはと言えばヒトラーの法律がタイトルのもとになっていますし、もっと言えばワーグナーが元ネタということにはなるんですが。ワーグナー好きな人、ロクな人いないですよね。

まぁしかし、ライフイズビューティフルとセットで見ると落差がきつい。

たった30分なのですが、とにかく逃げ出したい。もう見るのが本当につらい。

これを授業で使用するのは勇気が要ります。たぶん体調を崩す子が続出するかと思われます。感受性の強い子に見せるのはためらわれます。いいおっさんですらかなりの忍耐が必要でした。いやぁほんとうに、こんな地獄が世界に普通にあったなんて。

ただ、セットで見ると、ライフイズビューティフルがおそらくはこの映画をしっかり踏襲して作られたのだなというのがよくわかります。実際にライフイズビューティフルの監督さんのお父さんは強制収容所に入れられた経験があるそうなので、まさにあの映画は「私の物語」といっていい作品ではあるのです。そして「夜と霧」を見れば、「ライフイズビューティフル」の映画内のセットの様子などが実に忠実であることが分かります。さらに息子のジョズエが口走る「僕らは石鹸やボタンにされる!」という話も、実際に行われていたということを知って怖気が走ることになりました。

本当に、悪夢のような光景が、実際に、現実にそこにあった、ということに吐き気を抑えきれない。

ヒトラーが「夜と霧のように」消し去ろうとした人々の記録の最後には、「これを、一時期、特定の地域で起こっただけのこと、だと忘れてしまってはならない」という言葉がありました。我々のすぐ横にナチスの将校もカポも存在するのだと。

「ライフイズビューティフル」はほとんどファンタジックな人間の強さを描きますが、同時にその背後には人間の宿痾ともいうべき弱さ、愚かさ、無関心が人の命を飲み込んでいく恐ろしさがしっかりと描かれています。

本当は二作品セットで使いたい、だが、ちょっとコレは受け入れ側にそれなりの覚悟がいるなぁ。

まぁとりあえず、ライフイズビューティフルは、「イタリア語、習いたいな」と思うわせるくらい、いい映画でした。