言葉のちから
更新が滞っておりました。
コロナウィルスの話題ばかりが目につきます。
北イタリアの惨状に目を覆いたくなります。
ある日ニュースをみておりますと、ドイツのメルケル首相の演説が目に入りました。
それは感動的なまでに理知的で、それでいて心を揺り動かす、素晴らしいスピーチでした。
私なんかが訳しても誤訳だらけなので、堪能な人の訳をご紹介します。
いやもう、日本の某氏たちの要領を得ない、責任をとらないことだけを目的とした、スピーチとも言えない、ただのCO2としか言いようがない言葉の羅列と、なんでこうも違うのか。
Ich möchte mich bei dieser Gelegenheit zu allererst an alle wenden, die als Ärzte oder Ärztinnen, im Pflegedienst oder in einer sonstigen Funktion in unseren Krankenhäusern und überhaupt im Gesundheitswesen arbeiten. Sie stehen für uns in diesem Kampf in der vordersten Linie. Sie sehen als erste die Kranken und wie schwer manche Verläufe der Infektion sind. Und jeden Tag gehen Sie aufs Neue an Ihre Arbeit und sind für die Menschen da. Was Sie leisten, ist gewaltig, und ich danke Ihnen von ganzem Herzen dafür.
私は、この機会にまず、医師としてまたは介護サービスやその他の機能でわが国の病院を始めとする医療施設で働いている方すべてに言葉を贈りたいと思います。あなた方は私たちのためにこの戦いの最前線に立っています。あなた方は最初に病人を、そして、感染の経過が場合によってどれだけ重篤なものかを目の当たりにしています。
そして毎日改めて仕事に向かい、人のために尽くしています。あなた方の仕事は偉大です。そのことに私は心から感謝します。
(訳はすべて上記サイトから)
ここの箇所。最前線で戦う医師たちへの敬意が惜しむことなく表現されていますね。gewaltigは「ゲバ棒」とかの語源になったおっかない言葉ですが、本来のGewalt、gewaltigはもっと多様なニュアンスがあり、「すごさ」「でかさ」「つよさ」への畏敬の念が入り混じった表現です。
脇道にそれますが、こういう適当な和製ドイツ語みたいなの、日本のお医者さんもよくやってますが、結構腹立つんですよねー。「ムンテラ」とか。Mund Therapieでムンテラですか。そのまま「口頭説明」って言えばいいんですよ。隠語使ってるつもりかもしれませんが、全然カッコよくないですよねー。そんなにゲハイムニスにしたいなら全部ドイツ語で会話したらいいんだよ。正直、餃子の王将のオーダーのほうが百倍カッコイイッス!
Und lassen Sie mich auch hier Dank aussprechen an Menschen, denen zu selten gedankt wird. Wer in diesen Tagen an einer Supermarktkasse sitzt oder Regale befüllt, der macht einen der schwersten Jobs, die es zurzeit gibt. Danke, dass Sie da sind für ihre Mitbürger und buchstäblich den Laden am Laufen halten.
ここで、普段滅多に感謝されることのない方たちにもお礼を言わせてください。このような状況下で日々スーパーのレジに座っている方、商品棚を補充している方は、現在ある中でも最も困難な仕事のひとつを担っています。同胞のために尽力し、言葉通りの意味でお店の営業を維持してくださりありがとうございます。
これをちゃんと言えるのが素晴らしいですよね。首相ですよ?どっかの首相は選挙前以外絶対思いつきもしない言葉です。
Wir sind eine Demokratie. Wir leben nicht von Zwang, sondern von geteiltem Wissen und Mitwirkung. Dies ist eine historische Aufgabe und sie ist nur gemeinsam zu bewältigen.
私たちは民主主義社会です。私たちは強制ではなく、知識の共有と協力によって生きています。これは歴史的な課題であり、力を合わせることでしか乗り越えられません。
日本では「日本ではできない」ばかりを強調しています。法的制約ってことでしょう。しかし、それは弱みではなく強みである、という民主主義への揺るぎない信頼が見て取れる言葉です。俺たちゃあそことは違うんだよ!という気概ですね。どことは言わないですけど。
特にドイツにおける思想的伝統が色濃く出ているなぁと思う部分がさらに続きます。
Wir müssen, auch wenn wir so etwas noch nie erlebt haben, zeigen, dass wir herzlich und vernünftig handeln und so Leben retten. Es kommt ohne Ausnahme auf jeden Einzelnen und damit auf uns alle an.
たとえ今まで一度もこのようなことを経験したことがなくても、私たちは、思いやりを持って理性的に行動し、それによって命を救うことを示さなければなりません。それは、一人一人例外なく、つまり私たち全員にかかっているのです。
まさに理性主義!なんとカント的!と叫びたくなるような一文です。理性をすべての人間が共有しているという、現代思想でさんざん叩かれた楼閣が、それでもなお、ここにそびえ立っている。やせ我慢でも、立ち続けている。立ち続けなければならない。もっと言えば、立ち続けることができるのでなければならない、でしょうか。
病や事故で簡単に失われてしまい、星に還される、被造物としての我々の命。
しかし「わが上なる輝ける星空とわが内なる道徳律(Der bestirnte Himmel über mir, und das moralische Gesetz in mir)」だけは不滅であり、どこまでも我々に善を為すための前提として指標として、我々を基礎づけ、指導する。そうでなければならない。
プラグマティズムや功利主義や拝金主義や情報社会に翻弄されて、何が正しいのか、何が正しいと考えることに意味があるのかなどと翻弄される我々ですが、メルケルのこの言葉に、何の関係もない遠くの日本人が、どれほど勇気づけられたことか。そして近くの政治家の「責任逃れの釈明」がなんと空しく響くことか。